日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

「見なくても信じて生きる幸いを」

創世記一五・ 五~六ヨハネ二〇・二四~二九今日、心に留めたいイエス様のお言葉が二つあります。一つ目は 「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ二〇・二七)。二つ目は 「見ないのに信じる人は、幸い

「復活の主、私の神よ」

ルツ記 一・一六~一七ヨハネ二〇・二七~二九主イエスのお甦りを記念するイースター、おめでとうございます。この幸いな日に、今日の礼拝では洗礼式を執り行うこととなりました。それで今日の聖書箇所と受洗者の方

「キリストはお献げになった、ご自身を」

申命記一四・二二~二三ルカ  七・四四~四八主イエスが、弟子たちを覚えてこう祈られました。彼らのために、私は自分自身をささげます。彼らも真理によってささげられた者となるためです(ヨハネ一七・一九)。今日

「恵み受け、応えて歩む」

エレミヤ九・二二~二三エフェソ二・八 ~一〇あなた方の救われたのは恵みによるのです (エフェソ二・五)とエフェソ書は恵みを強調しています。そして、事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われました(同

「あと四十日すれば」

ヨナ 三・一~一〇マタイ一二・三八~四一旧約聖書は新約聖書のイエス様を証しています。先週の教会学校、ヨナ書の二章で神様から逃げようとしたヨナは海に放り込まれた後、大きな魚のお腹の中に丸ごと飲み込まれて

「人生に恵みあった、と見出せば」

イザヤ四三・一ルカ 一〇・一七~二〇先週はエフェソ書から 「あなた方の救われたのは恵みによるのです」(エフェソ二・六)。特に例として挙げたのは洗礼を受けようと考える時に、自分が何か立派にならなければならな

「怒りから、憐れみと愛、恵みへと」

イザヤ 五・二五エフェソ二・一~七今日の聖書個所は、一~三節と四節以下で内容が変化しています。一~三節は、以前の自分たちは死んでいた。四節以下は、しかしそういう私たちを神が憐れみと愛によって生かして下

「静かにささやく神の声」

列王記上一九・一~一八ルカ   五・二七~二八今日登場するのは預言者エリヤです。その名前は「私の神は主です」という意味です。エリヤは 「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」(列王記上一七・一)

「教会はキリストの御体」

詩編 六三・二~六エフェソ一・二二~二三今週の主題は、「教会はキリストの体」です。先週は、「キリストは教会の頭」でした。キリストは教会の頭であられるだけではありません。キリストは全世界の頭として居ましたも

「頭のキリスト、今ここに」

詩編  八・二~一〇エフェソ一・二二~二三本日の中心聖句は、神はまた、全てのものをキリストの足もとに従わせ、キリストを全てのものの上にある頭として教会にお与えになりました(エフェソ一・二二)。この聖句を

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