日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2026年5月10日 説教:森田恭一郎牧師

「神の計らい、ご計画」

エレミヤ二九・一〇~一四
エフェソ 三・一~七

神様にはご計画があります。それを相応しい仕方でこの世に、そして私たちにお示し下さいます。それは、詩編の言葉で言えば、あなたが私の右の手を取って下さるので常に私は御もとに留まることができる。あなたは御計らいに従って私を導き(詩編七三・二三~)とある通りで、神のご計画は、神の私たちへの御計らいです。その最終地点は、後には栄光の内に私を取られるであろうというものです。御国到来の時には神の栄光に包まれ栄光をたたえ、キリストの栄光ある身体と同じ形に変えられるに至ります。

 

 

神様はかつて、バビロニア帝国内に捕囚中の民に向かってご計画を語られました。主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである(エレミヤ二九・一〇~)。平和の計画です。でも七十年後です。その時生きていた人は、バビロニアの町に居るまま亡くなるのでしょう。つまりその町で生きる。だからその前の箇所で、その町の平安を祈り求めなさいと語られたのでした。七十年先の希望の約束が、今の町への執り成しの祈りの力、異郷の地、囚われの地で今を生きる力になります。

 

パウロはこの時、牢獄に捕らわれの身となっていました。キリスト信仰に無理解なローマの権力の下で獄に捕らわれておりました。でも、このことをパウロは、こういうわけで、あなた方異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっている私パウロは……(エフェソ三・一)と語り出します。獄に囚われの身になっている現状を借りて、キリスト・イエスの囚人と語ります。こう語りながら「……」と一呼吸置いています。一方で獄に捕らわれることになってしまったなと溜息をつきたくなっても不思議ではない中で現実を振り返り、他方改めて、キリスト・イエスの囚人、と自分を表現しています。現状を信仰的に捉え直して表現できる、これを私たちも言えるようになりたい。

パウロは呼吸を整えて語り出します。あなた方のために神が私に恵みをお与えになった次第について、あなた方は聞いたに違いありません。

復活のキリストがダマスコ途上で現れて下さったあの出来事でしょう。突然天からの光が周りを照らし、サウルは地に倒れる。そして呼びかける声がする。「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」。「主よ、あなたはどなたですか」。「私はあなたが迫害しているイエスである」。ここで主はサウルを責めたてることはせずにそのまま「起きて、町に入れ、そうすれば、あなたの為すべきことが知らされる」(使徒言行録九・一~、)。

サウルへの神様のご計画があることが示されました。

神様のご計画があります。それは、キリストによって実現されるこの計画(エフェソ三・四)です。キリストにあって明らかになったご計画は、今や〝霊〟によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました(三・五)。

そしてキリストはパウロにも出会って下さって、ご計画をパウロにも現して下さいました。その内容は、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものを私たちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束に与る者となるということです(三・六)。

パウロがここで「私たち」と言っているのは、イスラエルの民のことです。その自分が異邦人と一緒にキリストの約束を受け継ぐ、同じ民になるとご計画を示されたので、異邦人伝道に志、召命を与えられます。神は、その力を働かせて私に恵みを賜り、この福音に仕える者として下さいました(三・七)。

 

ここで示された神様のご計画と、ご計画の中に入れられている自分に気付くこと、この二つが一つになっています。溜息をつきたくなるその中で、自分に差し出されている恵み、この恵みを受けている自分を、見出します。どのようにでしょうか。私たちは使徒ではありませんから、直接キリストが現れて声をかけられる、ということはないかも知れない。でも礼拝の聖書の言葉を通して、あるいは聖餐を通して、出会う。「使徒たちや預言者たち」とありますが、この預言者たちというのは旧約の預言者たちのことではありません。使徒たちからキリストを伝え聞いた初代キリスト者たちのことです。彼らも自分に恵みが差し出されていることに気付いていく。今日の私たちは聖書を通してキリストを伝え聞き、恵みが差し出されていることに気付いていきます、エレミヤ書では神は続けて語ります。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、あなたを救う計画があります。

この計画に気付くのは礼拝での聖書の解き明かしを通してです。これに気付くように皆が、この礼拝の場に身を置けるように、出来ない方には、執り成しを祈り続けましょう。私たちは色々困難もある自分の人生を生きる自分自身を、ご計画に基づく恵みを受ける自分として見出します。

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