マルコ一・一~四
皆さま、今日から始めます週間夕礼拝にご出席下さいまして有り難うございます。週間夕礼拝と申しましても、当面、毎月第二金曜日の月一回の開催になりますので、月間夕礼拝なのですが、日曜日の主日礼拝ではなくウィークデイ週日に開催するという意味で週間夕礼拝です。
さて、マルコ福音書の最初の言葉、神の子、イエス・キリストの福音の初め(マルコ一・一)。この福音書の結論を語っています。イエスは神の御子でキリスト、それが福音なのだ。イエス・キリストというのは苗字と名前ではなく、イエスはキリスト(=救い主)です、という言葉で、そしてイエスは神の御子、神ご自身なのです、そしてそれが福音、素晴らしい知らせなのです、と宣言している訳です。このイエスというお方と出会うことが福音です、と言っている。何か悟りを開くことではない、神様との出会いです。
そしてこの「福音の初め」。この初めが何を指しているのか。学者の議論が続いています。マルコ福音書全体が福音の初めを記していると理解する。あるいは二行目以下の二節~四節の洗礼者ヨハネの登場がこれから始まる福音の初めになるのだ、とも理解することも出来ます。
この議論はさておき、今日は初めて教会の礼拝にお見え下さった方もおられるかもしれません。誰にとっても初めて礼拝に参加された、このことが、私たちにとって福音の初めになる。何度も礼拝出席してこられた皆さんには、最初のことを思い起こしながら、今日初めてお見え下さった皆さんには、まさに今日のこの礼拝が自分にとって福音の初めになる。それで、このマルコ福音書の冒頭の一節をプレゼントしたい。
福音の初めに何が出来事として起こるのか。この出来事を語るにあたってマルコ福音書は旧約聖書イザヤ書の言葉を引用しました。まず準備段階です。「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」。神の御子、救い主がやってくる準備段階として使者を遣わす。そして彼は荒れ野でこう言って叫ぶ。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」。道を整えるというのは、神の御子、救い主を迎え入れる心を整えるということです。その道を整える使者も、救い主も、旧約時代のイザヤにはまだ誰なのか分からない。でもマルコ福音書はもう分かった。使者は洗礼者ヨハネのことだ。救い主は主イエスのことだ! その主イエスを神の御子、救い主、主として受け入れよう!
主イエスをお迎えする心の道をまっすぐにして受け入れると、自分の心の内にまっすぐな道が出来ている。道筋というのは獣道、小径です。小径でも自分の心にまっすぐな筋が通る。自分は主イエスに、見守られ救われ愛されている。何があろうとぶれない心の中心軸が出来上がる。