「ふしぎだね。でもホントなんだ」
レビ記五・一マルコ九・二~一三ある日のことです。イエス様は高い山に登られました。三人のお弟子さんも一緒です。ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた(マルコ九・二)のですが、お弟子さんた
「味わい望む、神の恵みを」
詩編 一八・二~四ヘブライ一一・一~三信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ一一・二)。ヘブライ書が語る信仰の定義です。この聖句から私たちは勇気をもらいます。私たち
「報復から回復へ」
エゼキエル三九・二五~二九ヘブライ 一〇・二六~三九今日の聖書箇所は、前半に故意に罪を犯し続ける人たちに残っている審判や刑罰を語る厳しい言葉(ヘブライ一〇・二六~)と、後半に教会に留まる人たちへの信仰の
「習慣が作るファイナル・アプローチ」
イザヤ 四六・ 八~一三ヘブライ一〇・一九~二五礼拝をささげるということを、今日の聖書箇所から二つの表現を確認しましょう。一つは、聖所に入れる(ヘブライ一〇・一)、もう一つは、神に近づく(ヘブライ一〇・
「エッファタ、開け」
イザヤ三五・五~六マルコ 七・三一~三七耳が聞こえず、舌が回らず上手く話が出来ない人がいました。この日は人々が、この人を連れてきて、手を置いて下さるようにとイエス様に願ったのでした。ところが、イエス様
「良い子になれない私でも」
レビ記 二〇・七~八ヘブライ一〇・一~一八旧約聖書が告げていることは、人間は人間を救えないということです。私たちが真の神を選ぶのでもなく、私たちが能力があって神の民になれるのでもない。人間の善意に期待
「罪の赦しは、裁きを越える」
ヘブライ九・一五~二八キリストは今から二千年前にこの世においでになりました。十字架で私たちの罪を贖い取るためです。今日のヘブライ書は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るため
「我は道なり、我を通ってこそ」
イザヤ五七・一四ヘブライ九・一~一四旧い契約=旧約と、新しい契約=新約。私たちは、新しい契約の下に生きています。今日は、その新しい契約の下でささげる礼拝の素晴らしさと地上にあってなお残る課題を考えます
「あなたこそ、私の神」
ヘブライ 八・七~一三旧約聖書、新約聖書と言いますが、その「約」は約束、契約の約です。契約の中身は実は旧約時代から変わりません。「私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」(ヘブライ八・一〇)。でも旧約時代を通
「タリタ・クム、少女よ、起きなさい」
詩編一一三・四~九マルコ五・二一~二四。三五~四三今日はまずこの言葉に心に留めます。「タリタ、クム」。「少女よ、起きなさい」という意味です(マルコ五・四一)。皆さんで声に出して言ってみたいのですが、コロナ