「祝福を、携え分かつ」
創世記 四九・二八ヘブライ一一・二〇~二二今日の聖書箇所で、イサクとヤコブは祝福を祈りました。ヨセフも同じです。以前おりました教会の礼拝に、隠退教師の方が出席しておられました。その先生が時々仰いました
「主の山に備えあり」
創世記 二二・ 六~八ヘブライ一一・一七~一九ヘブライ書は、信仰によって生きた旧約の登場人物、その信仰を思い巡らし黙想しています。アブラハムのイサク奉献の記事を黙想します。創世記二二章の書き方は、解釈
「いつまで? なお、しばらく」
出エジプト記一四・一三~一四ヨハネ黙示録 六・一~一七本日は、教会の暦では終末主日になります。今週の土曜日がいわば大晦日、次週から待降節に入り新しい一回りが始まります。暦としては毎年同じ事の繰り返しです
「はるかに望む、天のふるさと」
イザヤ 四九・一四~一六ヘブライ一一・一三~一六本日は、皆様、家族友だち礼拝ならびに召天者記念礼拝にご参列戴きまして有り難うございます。お子様と共に、また久しぶりにご一緒に礼拝をささげることが出来ます
「祝福の源として歩み出す」
創世記 一二 ・一~四ヘブライ一一・八~一二望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する(ヘブライ一一・一)信仰によって生きた旧約の人たち、今日はアブラハムとサラです。 ヘブライ書は、アブラハムの
「雲の中、望みのしるし、神の虹」
創世記六 ・一~八ヘブライ一一・七一〇月三一日は宗教改革記念日です。一五一七年のこの日は、M・ルターが、カトリック教会に公開質問状を掲げ、これによって宗教改革が始まったとされる日です。当時のカトリック教
「執り成すアベルの叫び」
創世記 四・一~一六ヘブライ一一・四~五信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。ヘブライ書の信仰の定義です。そして昔の人たちは、この信仰の故に神に認められました。それなら、昔
「トマスは本当に疑い深い人なのか」
川俣 茂(清教学園中学宗教主任)ヨハネ福音書20:24-29「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマス」…主イエスの弟子の一人であるトマスという人がいました。主イエスが来られた時、彼らと一緒にいなかった。つま
「ふしぎだね。でもホントなんだ」
レビ記五・一マルコ九・二~一三ある日のことです。イエス様は高い山に登られました。三人のお弟子さんも一緒です。ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた(マルコ九・二)のですが、お弟子さんた
「味わい望む、神の恵みを」
詩編 一八・二~四ヘブライ一一・一~三信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ一一・二)。ヘブライ書が語る信仰の定義です。この聖句から私たちは勇気をもらいます。私たち