日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年12月11日 説教:森田恭一郎牧師

「神さまは我らと共におられます」

マタイ一・一八~二五

主の天使がヨセフに夢に現れて言いました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ一・二〇~)。ヨセフは天使から言われた通りに、生まれてくる赤ちゃんに「イエス」と名付けました。今日は名前について学びます。

私たちはイエス・キリストを信じます。「イエス・キリスト」、これは名前でしょうか…?  私で言えば、森田恭一郎、これと同じですか…? 違います。イエスは名前ですが、キリストは名前ではありません。どういうことかと言いますと、例えば、皆さんは私を、森田先生と呼んで下さいます。「先生」、これは私の名前ではありません。ですから 森田さんは先生です という意味になりますね。ですから「イエス・キリスト」も、イエス様はキリストです、ということになります。そしてキリストとは救い主という意味ですから、イエス様は救い主です、ということです。

それでは「イエス」の意味は何でしょう。名前なのですが、意味があります。「主は救う」という意味です。天使はヨセフにこう言いました。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである(マタイ一・二一)。罪から救うから「主は救う」というイエス様なのですね。

皆さんも名前があります。お父さんやお母さんが名付けてくれました。何故、こういう名前にしたのか、後で尋ねてみてはどうでしょう。思いを込めて、名前を付けてくれたのですよ。

 

さてマタイ福音書は、イエス様誕生の意味をこう語りました。この全てのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この名は「神は我々と共におられる」という意味である(マタイ一・二三)。イエス様は、我々と共にいて下さる神様、神の御子、我々の罪を贖い、罪を赦す救い主、のイエス様です。

 

今日はこの後、洗礼式を執り行います。洗礼を授けるときに、牧師の私はこう言います。

「父と子と聖霊との御名によって洗礼を授ける」。

父と子と聖霊の御名です。神様のお名前を唱えながら洗礼を授けます。洗礼を受けるその人の頭に水を注ぎながら、神様のお名前をその人の頭に置く、その人に授ける訳です。ですから洗礼を受けたら名前が二つあると言ってもいい。私たちには神様のお名前がもう一つ授けられた! 私たちに教えられた神様のお名前は、イエス様です。主は救うというお名前を授けます。そしてインマヌエル。神があなたと共におられる。その神様の宣言をその人に授けます。

洗礼を授けられた人は、自分は罪から救って戴いたのだ、ということを受けとめます。そして洗礼を受けるその人に神の御子イエス様が共にいて下さるのですから、そこで止まったままではいけません。自分も主イエスと共にいようと受けとめ、「あなたこそ私の神」(詩編三一・一五)と応えます。

もっとも幼児洗礼では幼子はその事は未だ分かりませんから、教会も親もこのことが分かるようにとその子を育みます。その子がキリストに向かって成長して(エフェソ四・一五)いくようにと待ち望み祈り願って、その子を育んでいきます。

 

それで「イエス様が私たちと共におられます」と信じ、「私もイエス様と共にいよう、イエス様こそ私の神様」 と応えていけるようになるために大切なことがあります。それは、教会に繋がって礼拝に出席し続けることです。それは「神は我々と共におられる」と宣言の言葉を聞き取ることが出来るのは教会だからです。「神は我々と共におられる」と教会の礼拝で確信できます。そして、私たちも教会の礼拝に集って、私たちがイエス様と共にいる一週間の生活が始まります。

 

祈り

主イエスの御名を戴いています。私の声に聞き従え。そうすれば、私はあなたたちの神となりあなたたちは私の民となる。私が命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る(エレミヤ七・二三)。大人も子どももそのようにキリストに向かって成長していけるように導いて下さい。

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