「今日生きる、思い悩むな、明日のことまで」
マタイ六・二五~三四空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉荷納めることもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養って下さる(マタイ六・二六)。なるほど鳥は、種も蒔かないし、刈り入れもしないし
「キリストの形、きのうも今日も…」
イザヤ 四二・一〇~一七ヘブライ一三・七~九パウロは、ガラテヤの教会の人たちに愛情込めて「私の子供たち」と呼びかけました。ガラテヤ教会は、パウロが使徒として伝道し創立、産み出した教会です。そしてもう一
「幸いだ、主が共にいる人々は」
マタイ五・一~一一主イエスは「あなた方は幸いである」(マタイ五・一一)と幸いを語って下さいます。幸い、幸せ。幸せ、というと英語で言うと「ハッピー」ですか?「やったぁ、ラッキー」ですか? 違います。高校生なら聞
「救いのしるし」
創世記 四・一三~一六ガラテヤ 六・一七パウロは自分のことをこう語ります。私は、イエスの焼き印を身に受けている(ガラテヤ六・一七)。信仰者として生きる故に受けた迫害やその傷を指して「イエスの焼き印」と言い
「十字架の新たな誇り」
エレミヤ九・二二~二三ガラテヤ六・一一~一六パウロは手紙の終わりに自ら大きな字で記しました。まず自らの決意を込めてこの私には、と書き出し、そして強調して私たちの主イエス・キリストの十字架の他に、誇るも
「涙と共に 種蒔く人は」
詩編一二六・五~六ガラテヤ六・六~一〇パウロは教会の人たちに勧めます。たゆまず善を行いましょう。全ての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう(ガラテヤ六・九、一〇)。ガラ
「主イエスの洗礼」
マタイ三・一三~一七私たちは洗礼を受けます。私たちが罪人だからです。洗礼は頭に水を注ぐ儀式ですが、川で受けることを思い起こさせます。水の中に入ってそれまでの自分が死んでしまいます。そして水から上がるの
「重荷負う柔和な心」
詩編五五・二三ガラテヤ六・一~五今日は説教題を「重荷を負う柔和な心」としました。柔和というと国語辞典には、優しく穏やかな様、とげとげしい所のない、もの柔らかな態度、様子とあります。聖書が語る柔和は大分
「復活の、主の喜びを託されて」
マタイ二八・一~一〇週の初めの日=日曜日の明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行きました。イエス様のご遺体が納められているお墓です。すると大きな地震がありました。地震。それは人間の力
「キリストに、父が全てを委ねたもう」
イザヤ五三・一~一三ヨハネ一三・一~五受難週の洗足木曜日礼拝を共にささげ得ますことを感謝します。本日は一三章三節を中心に味わいます。主イエスは、二つのことを悟られました。一つは、父が全てをご自分の手に