日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2024年3月31日 説教:森田恭一郎牧師

「復活の、主の喜びを託されて」

マタイ二八・一~一〇

週の初めの日=日曜日の明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行きました。イエス様のご遺体が納められているお墓です。

すると大きな地震がありました。地震。それは人間の力では起こすことも、止めることも出来ない地震です。地震が起こった時、あっ地震だ、と人は一瞬動きが止まってしまいますね。婦人たちも一瞬、氷のように体がこわばってしまいました。

そしてこの直後、人間にはどうしようも出来ない何かが起こったことが分かりました。見ると、主の天使が天から降って来て近寄り、何とお墓を塞いでいた石を転がして、その上に座ったのでした。石は死んだ人間をお墓に閉じ込めておくためのものです。婦人たちには石を動かすことも、死をどうすることも出来ません。その石の上に天使が座った。神様が死に打ち勝ったことを高らかに表していました。そして言いました。「恐れることはない。十字架に付けられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここ(=お墓)にはおられない。かねて言われていた通り、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」(マタイ二八・六-七)。見ればイエス様のご遺体は見当たりません。

 

天使は続けて言いました。「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そしてあなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』。確かに、あなた方に伝えましたよ」。婦人たちはこう告げられて「ああそうか」と我に返って、イエス様は復活された、このことを早くお伝えしなくっちゃ。急に体が熱くなってきた感じです。恐れながらも、大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。喜びが溢れてきて止まってなんかいられない。歩くのもまどろっこしい。思いっきり走ってしまいました。

 

すると、何とイエス様が行く手に立っておられるではありませんか。朝日の輝きの中で、きっと手を広げ「さぁ、こっち」と手招きして下さっているようです。そして「お早う」と言って下さいました。あっ、イエス様のお姿、イエス様のお声だ。今度は婦人たちが近寄って、イエス様の足を抱き、その前にひれ伏しました。

「お早う」。これは「平安あれ、平和があるように、シャローム」という言葉。「喜びなさい」という言葉でもあります。普通の朝の挨拶以上のものです。婦人たちはここまで喜んで走ってきましたが、イエス様が、喜びの上に更に喜びを増して下さって、婦人たちは喜びに溢れました。

そしてイエス様は言われました。「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会うことになる」。

それできっと、婦人たちはまた走り出しました。ご復活のイエス様から、喜びを託されたのですから。マタイ福音書では、弟子たちはガリラヤで主イエスに出会いました。婦人たちがイエス様から託された喜びを携え、イエス様から告げられたことを弟子たちに知らせからです。

 

復活のイエス様は「お早う、平和があるように、喜ぼう」と喜びの表情で出会って下さいます。婦人たちは喜びにの上に喜びが溢れました。この後、弟子たちにも主イエスは出会って下さって「あなた方に平和があるように」と言われ、そう言って手と脇腹をお見せになりました。弟子たちも「主を見て喜んだ」(ヨハネ二〇・一九-二〇)のでした。

 

それでは私たちはどこでイエス様に出会うのでしょう。それはこの教会の礼拝です。教会の礼拝に集まるから、礼拝で、お甦りのイエス様のことを知ります。教会の礼拝に来たことがない人は、イエス様のことを知りません。石が脇に転がったことも知りません。その人たちにとっては、石が死んだ人間を閉じ込めたままです。

石が脇に寄せられたこと、イエス様が手招きして「お早う、平和あれ、喜ぼう」と宣言しておられることを、多くの人に知ってもらいたいです。そしてみんなが喜びの表情に溢れて欲しいです。

皆さん、イースターおめでとうございます。

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