日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2018年3月11日 説教:森田恭一郎牧師

「なぜ私をお見捨てに」

イザヤ書54章4~10節
マルコによる福音書15章33~34節
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ=我が神、我が神、何故、私をお見捨てになったのですか」。主イエスが十字架で経験なさったことは、父なる神に見捨てられるという事でした。それ故、私たちが見捨てられることは無い、これがいわば結論ですが、今日は結論に急がず、その手前でもたつきたいと思います。

主イエスは、救い主の立場から受難を充分予知し弁えておられたに違いありません。既に幾度となくご自分の受難予告をなさっておられました。弟子たちの先頭を切ってエルサレムへと突き進まれ、私の十字架によって全ての人の罪が贖われるのだ、そして私はその後三日目に甦るのだと。しかしだからと言って主イエスは、悠々と泰然として十字架にかかったのでしょうか。それなら、主イエスのあのゲツセマネの祈りは必要なかった。「アッバ、父よ、あなたは何でもお出来になります。この杯を私から取りのけて下さい。しかし私が願うことではなく御心に適うことが…」。
人はどれ程困難や悲しみの中にあっても支え合う人間関係があればきっと生きていける。人間は日頃、自分は神なんか信じていないと思っていたとしても、心のどこかにそして最期にはどこかに神を求めずにはいられない存在です。それと同じように、主イエスも、たとえどれ程、人間たちから侮辱され侮られ罪人扱いされ、最後には十字架に付けられても、父なる神から「イエスよ、お前は私の愛する子、私の心に適う者、今、お前は正に救い主としての苦しみを味わっている。それで全ての人、万民、万物が救われるのだ」とせめてそのような、神が了解していることが解るような語りかけだけでもあったら、主イエスもまだ耐えられたであろうに…、それがこともあろうにその父なる神に見捨てられてしまった。これが罪の裁きとしての死。あのゲツセマネの祈りの時でさえ「アッバ、父よ」と呼びかけたのに、そうは仰らずに「我が神」と叫ばれた所に、罪の裁きとしての望み無き状況が垣間見えています。
私たち人間は、この叫びから垣間見えること以上に、主の悲しみ、絶望、痛みを覗き込むことは出来ない。そんなことをしたら、その恐ろしさの故に、誰一人例外なく気を失って倒れ死んでしまうでしょう。何故ならこれに耐えられるようには人間は造られていないからです。罪の裁きとしての死は、神の御子であられる主イエスだからこそ担い得たのであって、しかもこれを人として私たちの代わりに担われたのでした。そのお陰で死は私たちにとって、罪の裁きとしての死ではなく天国への入り口になりました。それで私たち人間は、もう神様から見捨てられることはなくなった。

今日はしかし、天国への入り口だ、もう見捨てられることはないと結論を急がず、地上に生きる私たちのまま、人間に耐えられる、許される範囲で、もたつきつつこの叫びに思いを重ねたい。
もう随分前の時代に結核患者の看護を務めた人の手記があって、そこにある患者の姿が描かれておりました。その患者さんは「梁に帯を結びつけ、それにしがみつくようにして耐えて祈り続けるのであった。そして『苦しい時に祈って神様に一緒に耐えてもらっているのです』との言葉を聴いた」というのです。助けて下さい、救って下さいというのではない。一緒に耐えてもらう…。
私たちは、どれ程辛くても、主イエスが見捨てられるあの凝縮した主の苦しみを経験することはない。私たちのどのような苦しみよりも主イエスの苦しみの方が遥かに深い。けれども私たちにはある事が許され許容されている。それは自分の苦しみの中で「我が神、我が神、何故、私をお見捨てになったのですか」と主イエスの祈りを自分の言葉として祈ること。その時、主イエスは誰よりも深く、私たちの苦しみを共に担い給うに違いありません。この患者さんは、主イエスのこの祈りにしがみつきながら、苦しみを共に担われる主イエス・キリストを味わったのではないだろうか。

今日は三月一一日、あの東日本大震災から七年目の日です。もう七年、いつのまに七年も経ったのでしょうか。そう呑気なことを言える程に私たちは、被災者の苦しみを自分のものとして受け止めることはなかなか出来ません。トラウマというのがあるそうです。心的外傷、心の傷です。あの時のショックが五年、七年経って今出てくる。何故今なのかというと、最初のショックをひたすら心の内に押さえ込んでいた。それが抑えきれなくなって精神不安定や体の症状となって、時間が経ってから顕在化して来る。何故抑え込んでいたのかというと、理由は幾つもあるのでしょうけれど今日は三つ。一つには、恐怖とショックの余りの大きさ故に言葉に表現しようがない、ということ。そしてもう一つは、苦しく辛いのは私だけじゃない、みんなそうなのだから、自分だけ我儘言ってはいけない、それを言っている暇があるなら、生活の立て直しを精一杯やって生きて行かねばと思い、ショックを心の内に抑え込んでしまう。三つ目は、自分のせいでこうなったと思ってしまう。助けてあげたかったのに、一緒に助かりたかったのに、助けることが出来ず、その人は助からなかった。それは負い目の思いとなってのしかかる。そしてその人の死を受け入れられないので、心を閉ざす。そのような中でもたつきながら生きる。

旧約聖書では、生き抜く、生き延びるという言葉には二つの異なるニュアンスがあるそうです。一つは、戦乱などで滅亡の危機から命からがら逃げ伸びて生き残れたという肯定的な意味合い。
今一つは、危機の只中にあって逃げ伸びることが出来ないまま、他には生存者が殆どない中で奇跡的に生き残れた、奇跡的にと言っても否定的な意味合いで。例えばイザヤ書一章七節から(p.1061)「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて荒廃している。そして娘シオンが残った。包囲された町として」。生き残れたから良かったではないかと言いたくなる所ですが、敵に包囲された中で生き残ってしまうのは大変なことです。震災も同じです。親・兄弟がみんな死んでしまった中で自分だけが生き残る…。聖書は、度重なる存亡の危機を生き抜いてしまった信仰共同体の呻きや嘆きの言葉が一杯残っている。そういう証言の言葉です。
江戸時代だったか、東北沿岸に津波が押し寄せて来て、ここまで津波が来たという所に石碑を立てた。これも、ここから海側にいると危ないぞという証言の石碑です。それは今に至るまで残っていますが、いつしか、証言に耳を傾けなくなる。すると証言は埋もれていきます。その呻きや嘆きを言葉にして行かないと歴史から消える。またその証言を聞き続けて行かないとせっかくの証言が時の流れに埋もれていく。

証言するって、思えば大変なことです。トラウマ、心の傷が大きくて言葉に出来ない。それを証言にしていく。出来ないことです。それが出来るのは、嘆いていい、呻いていい、叫んでいい。そのように心の傷の言葉を聴き受けとめ共感してくれる存在がいる時です。詩編二二篇は、代表的な嘆きの詩篇。「私の神よ、私の神よ、何故私をお見捨てになるのか」。この言葉から始まる。先週も触れましたが、この詩篇が後半から賛美に変わるのは何故か。「私は兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します」。この礼拝の集会があるからです。突然賛美に変わるようですが、やはり前半の嘆きがあっての後半の賛美です。嘆きを集会で吐露出来る。その集会にある賛美は、ただ賛美なのではなく、そこでやっとの思いで捧げられた嘆きの祈りの言葉を、共感・共有する中で、それを包み込む賛美であるに違いないのです。
主イエスが十字架上で叫ばれる。私たちがその叫びを耳にするとき、一人ひとりの嘆きの思いが祈りの言葉にもならない時から、主イエスが誰よりも近くにいまし給うて、「捨てられ苦悩する妻を呼ぶように主が夫となってあなたを呼ばれる。深い憐れみを以て私はあなたを引き寄せる」(イザヤ書五四・六)。引き寄せるとは言っても、無理やり引き寄せることはしない。御手を差し伸べ、御手を広げておられる主がいたもう。その救い主のお姿は、ご自身は元気で痛みも悲しみもないお方としてではなく、むしろ誰よりも、見捨てられたことを知るお方として、誰よりも近くにおられる。そのことを知る時、人は、少しずつ心が開けられて嘆き出すことが出来るようになる…。聖書は、嘆く民だからこそ見出すことの出来た、こういう救いの神、憐れみの神を証言してきた。

教会はこの神を見出し、神に見出され、神の言葉を聴いてきた。十字架の「何故私をお見捨てに」、この主の御言葉を自分の言葉として語ることを許されて、嘆くことを良しとしてもらい、そしてそれを伝え証言していく。それが教会の集会です。嘆きが賛美へといつしか変えられて行く。主の御業も御言葉も、時の流れに埋もれていかないように、教会はこの証言の集会であり続けます。

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