「祝福の源として歩み出す」
創世記 一二 ・一~四ヘブライ一一・八~一二望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する(ヘブライ一一・一)信仰によって生きた旧約の人たち、今日はアブラハムとサラです。 ヘブライ書は、アブラハムの
「雲の中、望みのしるし、神の虹」
創世記六 ・一~八ヘブライ一一・七一〇月三一日は宗教改革記念日です。一五一七年のこの日は、M・ルターが、カトリック教会に公開質問状を掲げ、これによって宗教改革が始まったとされる日です。当時のカトリック教
「執り成すアベルの叫び」
創世記 四・一~一六ヘブライ一一・四~五信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。ヘブライ書の信仰の定義です。そして昔の人たちは、この信仰の故に神に認められました。それなら、昔
「トマスは本当に疑い深い人なのか」
川俣 茂(清教学園中学宗教主任)ヨハネ福音書20:24-29「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマス」…主イエスの弟子の一人であるトマスという人がいました。主イエスが来られた時、彼らと一緒にいなかった。つま
「ふしぎだね。でもホントなんだ」
レビ記五・一マルコ九・二~一三ある日のことです。イエス様は高い山に登られました。三人のお弟子さんも一緒です。ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた(マルコ九・二)のですが、お弟子さんた
「味わい望む、神の恵みを」
詩編 一八・二~四ヘブライ一一・一~三信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ一一・二)。ヘブライ書が語る信仰の定義です。この聖句から私たちは勇気をもらいます。私たち
「報復から回復へ」
エゼキエル三九・二五~二九ヘブライ 一〇・二六~三九今日の聖書箇所は、前半に故意に罪を犯し続ける人たちに残っている審判や刑罰を語る厳しい言葉(ヘブライ一〇・二六~)と、後半に教会に留まる人たちへの信仰の
「習慣が作るファイナル・アプローチ」
イザヤ 四六・ 八~一三ヘブライ一〇・一九~二五礼拝をささげるということを、今日の聖書箇所から二つの表現を確認しましょう。一つは、聖所に入れる(ヘブライ一〇・一)、もう一つは、神に近づく(ヘブライ一〇・
「エッファタ、開け」
イザヤ三五・五~六マルコ 七・三一~三七耳が聞こえず、舌が回らず上手く話が出来ない人がいました。この日は人々が、この人を連れてきて、手を置いて下さるようにとイエス様に願ったのでした。ところが、イエス様
「良い子になれない私でも」
レビ記 二〇・七~八ヘブライ一〇・一~一八旧約聖書が告げていることは、人間は人間を救えないということです。私たちが真の神を選ぶのでもなく、私たちが能力があって神の民になれるのでもない。人間の善意に期待