「み言葉は、エネルギッシュに生きている」
詩編 三二・一~五ヘブライ 四・一二~一三神の言葉は生きて(ヘブライ四・一二)いる。言葉が生きているとはどういうことか。生きている言葉の前に私たちは何を自分の言葉として語り得るか。教会の内に神の言葉が生き
「神の聖者が来られた」
詩編 二四・九~一〇マルコ 一・二一~二八ある安息日に四人の弟子たちと共にカファルナウムの町、その会堂に来られた主イエス、実は神の聖者でした。会堂にやって来られ御国の福音を宣べ伝えると、この会堂に汚れ
「あずかろう、神の安息、今日の内」
創世記 一・三一~二・三ヘブライ 四・一~一一今日のヘブライ書は、福音をこう表現します。「神の安息に与る(あずかる)」。神様がこの救いの物語を描いておられます。神様はこの物語のためにまず第一に、歴史の前の段
「最初の確信を今日もまた」
詩編 九五・六~七ヘブライ 三・七~一九「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心を頑なにしてはならない」(ヘブライ三・七、一五)。今日とは、どのような日であるのか。これが今日の主題です。ヘブライ書は、今
「天の召しにあずかっている」
出エジプト記一九・三~九ヘブライ 三・一~六旧新約聖書、その「約」は契約の約です。その内容は「神様が私たちの神となり、私たちが神様の民となる」ということです。神であり民であるのには双方に忠実であること
「新しい命に生きる」
イザヤ三五・五~六マルコ 一・一~八お早うございます。今日から教会学校ではマルコによる福音書を学んでいきます。今日は教案誌カリキュラムに従って、マルコ福音書の最初の所です。神の子イエス・キリストの福音
「主は復活された」
イザヤ二五・六~一〇ヘブライ二・一四~一八イースターおめでとうございます。あの朝まだ暗い内、墓に出向いた婦人たちはこう告げられました。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜し
「この上なく愛し抜かれた」
イザヤ書五三・一~一二ヨハネ 一三・一~五主イエスは弟子たちの足をお洗いになりました洗足は、主イエスの見えない愛が見える形になって現われた行為です。主イエスはこの上なく愛し抜かれました。愛し抜かれた。
「主イエスは我らを弟妹に」
イザヤ 八・一六~一八ヘブライ二・五~一三キリスト信仰とは、見えないことを見る信仰です。ヘブライ書の有名な言葉で言いますと、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ一
「弟子たちは皆」
詩編七三・二三マルコ一四・四三~五二今日のお話の題は「弟子たちは皆」です。弟子たちは皆、どうしたのでしょう。何をしたのでしょう。弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった(マルコ一四・五〇)のでした。