日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年9月11日 説教:森田恭一郎牧師

「良心が納得してこそ、健全に」

士師記六・三六~三八、七・一~七
ヘブライ一一・三二~三四

「勇者よ、主はあなたと共におられます」(士師記六・一二)。勇者というのは勇ましい勇気のある者という意味です。

ある日のこと、神の御使いが現れて語りかけました。そして御使いは言いました。「あなたのその力を以て行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことが出来る。私があなたを遣わす」(士師記六・一四)。

この絵を見て下さい(聖句カード22年度版聖句カード24番)。真ん中に若者がいます。この人はギデオン。「エッ? ボクが勇者? 私は家族の中で一番年下の者です(士師記六・一五)」。驚いて天を見上げています。ギデオンは自分のことを、勇気があるとか、力があるとか、全然思っていませんでした。でも、大事なことは、主とその御言葉を信じることです。弱くても大丈夫。

それでギデオンは神様が共にいて下さるしるしを願い求めました。そうしたら御使いが言いました。「肉とパンをとってこの岩の上に置きなさい」(士師記六・一九~)。御使いが肉とパンに触れると、火が燃え上がって、ジュッとパンと肉が焼き尽くしました。ギデオンは、神様が本当にいらっしゃるんだ、神様がイスラエルに平和をもたらしてくださるんだ、と分かって、主のために祭壇を築き「平和の主」と名付けました。

 

ギデオンはイスラエルを守るための民を集めました。三万二千人が集まりました。敵のミディアン人の兵隊の数は十三万五千人です。もっと集まったらいいのに……。この時、神様は不思議なことを言われました。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡す訳にはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それ故、今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰りなさい」。こうして民の中から 二万二千人が帰り、一万人が残った(士師記七・二~)。戦うことを納得出来ていない民は帰りました。信仰はそれでいいのです。主

が共におられることを、まだ本気では信じられなかったのでしょう。残ったのは一万人。一万人だけで十三万五千人の敵と戦って本当に勝てますか。

 

主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこであなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだと私が告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない」(士師記七・四~)。言われて水辺に行きました。一万人の民は夫々に水を飲みました。この絵を見て下さい(聖句カード13年度版聖句カード23番)。真ん中の二人は手ですくって水を飲んでいますが、後ろの方の人たちは、かがんで、直接口をつけて飲んでいます。

すると、彼は民を連れて水辺に下った主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者は全て別にしなさい。水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。そして水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ(士師記七・五~)。三百人だけで一三万五千人もの敵と戦って本当に勝てますか? 今度はもう一回、最初の絵を見て下さい。二万二千人が帰って行くし、さらに選り分けられて残った人は三百人だけ。もうギデオンは、ただただ天を見上げるしかありません。

でも、主はギデオンに言われた「手から水をすすった三百人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい」。

 

その結果は、イスラエルが勝ちました。何故でしょう。ヘブライ書はこう語っています。ギデオンのことだけではないのですが、旧約聖書に登する勇者たちです。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました(ヘブライ一一・三二~)。ヘブライ書は「信仰によって」と語っていますが、その信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ一一・一参照)。何を望んで確信し、何を見透して確認したのかというと、主が共におられて、主が戦って下さる、ということですからです。

そのことをギデオンは納得しました。無理矢理思い込まされたのではありません。心から、神様が共におられ、戦って下さると。

 

ギデオンは、最初、主が共におられる「しるし」を求めて、肉とパンが火で燃えるしるしを頂きました。私たちは、神様が本当におられることは、どうして心から信じられるのですか? それは礼拝に集い、聖書のお言葉を聴いて、イエス・キリストがおられる、しかも死人の中から甦られたことを知っているからです。私たち教会はキリストがともにおられることを信じて生きるようにされた、いわばあの三百人です。

教会の私たちは、戦争はしません。代わりに、自分が神様を信じる者であることの戦いをしています。キリストを証するように召されています。もう、自分は弱いんだ、神様は共にいて下さらないんだ、なんて思う必要はありません。主は言われます。行くがよい。課題に立ち向かうことが出来る。私があなたと共にいて、私があなたを遣わす(士師記六・一四参照)。私たちの心は平和です。

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