日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2023年12月24日 説教:森田恭一郎牧師

「神の御子、時が満ちるに及んで」

イザヤ六三・一六~一七
ガラテヤ四・ 一~七

皆さん、クリスマスおめでとうございます。今日はこの後に、教会学校の降誕紙芝居があります。天使たち、ヨセフやマリアさん、飼い葉桶や羊飼い、それに博士たちが登場するクリスマスの物語です。楽しみです。このようなクリスマスの物語の他に、こういう登場人物がいなくても降誕の出来事を語る聖書の言葉が幾つもあります。

例えば、神は、その独り子をお与えになった程に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ三・一六)もその一つです。神様がお与えになった。それは神様のプレゼントです。ご褒美ではありません。ご褒美は手柄をたてた人がもらえますが、プレゼントは手柄があってもなくても、みんなもらえます。プレゼントの中身は独り子イエス様です。どうしてプレゼントして下さったかというと、世を愛されたからです。愛。お父さんやお母さんにギュッとしてもらうことも愛のかたちです。転んで泣いていてもお母さんにギュッと抱っこしてもらうと安心して涙も止まります。愛に包まれるからです。そしてイエス様にギュッとしてもらうことを永遠の命と言います。このヨハネ福音書の言葉もクリスマスの出来事を語っています。

 

今日のガラテヤ書も、天使などは登場しませんが、クリスマスの出来事を語っています。しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは律法の支配下にある者を贖い出して、私たちを神の子となさるためでした(ガラテヤ四・四-五)。

神様が御子をお遣わしになりました。贖い出すために。ここでも神様のクリスマスのプレゼントを語っています。何のためにプレゼントして下さったかと言うと、ここでは愛の代わりに、贖い出して神の子とするためでしたと言っています。贖い出すというのは、ある所から救い出すことです。律法の支配の下から救い出すためです。手柄を立てないと神様に愛してもらえないと思い込ませる律法の支配から救い出します。

それからもう一つ、支配という言葉があります。世を支配する諸霊(ガラテヤ四・三)とあります。どういうことでしょう。例えば、皆さんの中にスマートフォンでゲームをし始めるとやめられなくなる人、いますか。その時、皆さんの心がゲームに支配されていますよ。大人の人も含めて、色々なことに支配されています。

色々なことに支配されて絡み取られてしまう時に、そこから救い出されてイエス様にギュッとされていることに気付くと、安心します。その時、自分は神の子とされているのだと分かります。

 

今日のガラテヤ書はもう一つプレゼントを語っています。それは御子の霊、聖霊です。あなた方が子であることは、神が「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、私たちの心に送って下さった事実から分かります(ガラテヤ四・六)。御子の霊、聖霊は何度でも遣わされます。送ってもらえます。でもここでは一回限りの出来事を表す言葉になっています。おそらく洗礼の時のことを言っているようです。洗礼を受けて、父なる神様と祈って、神の子とされている訳です。叫ぶ、とありますから、辛い時にこそ叫んで祈って良いのです。皆さんもお家で何かあると、お父さん、お母さんとか叫ぶでしょ。そうやってイエス様に叫んでいいんですね。その時、実は聖霊の導きの中にあるんです。

 

さて、クリスマスは時が満ち(ガラテヤ四・四)てイエス様がご降誕なさいました。マリアさんから見れば、彼らがベツレヘムにいる内に、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた(ルカ二・六-七)のでした。お腹に宿った小さな命が少しずつ大きくなって、時が満ちて出産になります。

皆さんが生まれるのも、ご両親はその時が来るのを待ち望みました。そして生まれると我が家に赤ちゃんを授かった新しい家庭が始まります。

もっとも神の御子イエス様がお生まれになるという時が満ちるのは、もっと世界にとって歴史的な意味を持ちます。二〇二三年。御子のご降誕から数えて二〇二三年目ということですから。今から二千年前に、新しい事が始まった。どんなに辛いことがあっても、神様はいらっしゃる。イエス様がギュッと愛していて下さることが明らかになった、私たちは神様の子とされたのだと分かった。だから、今日もイエス様ありがとう、と礼拝をささげています。みんな神の子として仲良くします。

 

ただここで皆さんは思うでしょう。みんながみんな、仲良くしている訳ではないな……。世界は争いごとが一杯あります。悲しいことです。世界中の人が同じ神の子とされていると、みんなが本気で信じてはいない。私たちの側が未完成です。旧約の時代以来、聖書が明らかにしていることは、人間は人間を救えない。救い主に来てもらわないといけない、ということです。だから神様に向かって叫びます。立ち帰って下さい。どうか、天を裂いて降って下さい(イザヤ六三・一七、一九)。新約の私たちは再び来て下さいと叫びます。こう叫ぶことが出来るのは、クリスマス以来、救い主は確かにおられると確信出来るからです。イエス様がご降誕されて以来、世界は未完成のまま終わらない、と信じられるようになりました。     こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとにまとめられるのです(エフェソ一・一〇)。この世界に神がおられる。救い主がおられる。世界は未完成で終わらない歴史の目標がある。そう信じる時代が、ご降誕以来、始まっていると信じます。

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