日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年7月21日 説教:森田恭一郎牧師

「神が遣わす」

創世記45章1~8節
フィリピの信徒への手紙2章12~13節
今日は夢の話をします。夢には二種類あります。一つは、皆さんが寝ている夜に見る夢です。自分では作れない。普通に考えたらあり得ないような思いがけない夢も見ます。目が覚めると忘れてしまうことが多いのですが、特に印象深い夢は稀に善かれ悪しかれ何か覚えていることもあります。もう一つの夢は、昼間目が覚めている時でも見る夢で、例えば、僕は大きくなったらサッカー選手になりたいなどと自分で描くことが出来る夢です。このように、二種類の夢があります。そして今日は、神様が描く夢は何か、それが主題です。

今日の聖書の物語には、夜見る夢と描く夢、両方出てきます。今日の登場する中心人物はヨセフです。アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヤコブの息子のヨセフ。彼は十一人目の子どもで、兄が十人いました。ヨセフは眠っている間に夢を見ました。そして兄たちに言いました。「畑で私たちが束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、私の束にひれ伏しました」(創世記三七・七以下)。これを聞いた兄さんたち、いい気持ちはしません。兄たちはヨセフに言った。「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか」。兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。
それから、ヨセフはまた別の夢を見て、それを話しました。「私はまた夢を見ました。太陽と月と十一の星が私に平伏しているのです」。太陽、これはお父さん、月はお母さん、そして十一の星は、兄弟たちの事。家族みんながヨセフに平伏したという訳です。今度は父にも話しました。父はヨセフを叱って言いました。「一体どういうことだ、お前が見たその夢は。私もお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面に平伏すというのか」。兄たちはヨセフを妬みました。お前だけいい思いして、お前なんかいなければいいのに、と思って妬みました。
そんなある日の事、お兄さんたちは、家から遠く離れた所で、ヨセフを穴に放り込んで家に帰ってしまいました。そこを丁度通りかかった商人たちがヨセフを見つけて、エジプトに連れて行って、ヨセフを召使として売り飛ばしてしまいました。ヨセフはエジプトで召使としてよく働き、何も悪いことをしていないのに牢屋に入れられる羽目になりました。それが十年以上続いたのです。

そうしたらある時、エジプトの王様が夜、夢を見ました。ナイル川のほとりに立っていると、突然、艶やかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。そして、醜い、やせ細った雌牛が、艶やかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた(創世記四一・一以下)。何とも気味悪い夢です。それで、国中の人たちに、この夢の解き明かしをしてくれる人はいないか、と呼びかけたのですが誰もいません。その時、ヨセフが牢屋から出されて王様の前に連れて行かれ、その夢を聞かせてもらいました。
ヨセフはエジプト王ファラオに言った。「神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく育った雌牛は七年のことです。その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう」。ヨセフは夢を解き明かしました。
王様はこれを聞いて「お前ほど聡明で知恵のある者は他にはいない。私は今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言ってヨセフを、食料管理の監督にしました。ヨセフは牢屋から出され、司政者(創世記四二・六)に選ばれることになりました。

七年間豊作が続きました。でもヨセフはこの後飢饉が続くことを知っていますから、豊作で沢山取れた分を無駄使いしないで食料を国家備蓄して蓄えておきました。そして豊作の七年が終わると、今度は、豊作どころか、全く実らず収穫できません。飢饉が訪れました。一年で終わりません。周りの国の人たちは食べ物がなくなってしまいます。そしてエジプトから離れたカナンにいる、ヨセフのお父さんやお兄さんたち、家族親戚たちも食べる物が無くて困ってしまいました。ヤコブは、ヨセフの兄たちに言いました。「聞く所では、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい」(創世記四二・二)。
兄たちはエジプトに出かけます。途中の話は飛ばしますが、ヨセフは気が付きました。兄たちが来ている。でも兄たちは、目の前にいる偉い監督の人がまさか、ヨセフだなんて思いもよりません。「食料を買うためにカナン地方からやって参りました」と地面に平伏しヨセフを拝します。ヨセフはこの兄たちを見ながら、あることを思い起こしました。そう言えば、二十年位前に見たあの夢、結わえた束と星々が私に向かって平伏したあの夢。今の光景はあの夢の通りだ。正夢だったのだ…と心の中で思いました。
ヨセフは思い巡らします。私が思い描いてきた夢は何だったろう、そうだ、牢屋から出されること、そしてあの時以来バラバラになっていた家族が、神様の祝福の中で一つになり、家族みんなが仲良くなって喜び合えるようになること、この事を私は夢描いていた。そしてきっと兄たちも、お父さんも、みんな同じ夢を描いてきたに違いない。
自分の気持ち、家族の気持ちに思いを馳せました。

そしてヨセフは…、更に思い巡らしました。私が見たあの夢はただの正夢ではない。もしかしたら、神様が描いておられた夢だったのではないか。神様が描かれた夢は、実現するご計画になる。あの夢は、実は神様の初めからの夢、神様がご計画なさって実現したのだ…。
それでヨセフは確信して言いました。「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記四五・四以下)。私が最初の夢を見、お兄さんたちが私を妬んで、私はエジプトへと売り飛ばされ、今は司政者になっている。辛いこともあったが、神様は私たちの内に働いて、御心のままに望ませ、行なわせておられる(フィリピ二・一三参照)。このような仕方で、神様は私をここに先に遣わして下さったのだ。こうしてみんなの命が救われる。ヨセフは兄たちに、自分たち家族みんなが、神様の描かれた夢、ご計画の内にあることを語りました。
この後、お父さんも一族みんなとエジプトに来て、そしてお父さんはエジプトで生活した後、いずれ亡くなっていくのですが、息子たちみんなを一人ひとり祝福し、その祝福の内にイスラエルの家族が一つになりました。今日の物語の所では、神様がこの家族に描いた夢が実現していきました。

それならば今、神さまがイエス・キリストを遣わしてまで私たちに描いておられる夢は何ですか。キリストはおいでになり、遠く離れているあなた方にも、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らされました。従って、あなた方は最早、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり…(エフェソ二・一七以下)。今日もこの礼拝に皆さんが集まって一つになって神様に礼拝をささげている。皆さんは神の家族です。

今日は中・高・大学生もいますのでお尋ねします。日本国民の私たちが描く夢とは何でしょうか。それは、日本国憲法前文に書いてあります。皆さん知っていますか? この前文を全文読んでみます。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し(中略)、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。国民主権、基本的人権、平和主義を謳うこの憲法、前文の終わりに理想と目的の達成を誓う旨記していますが、これは日本国民の決意です。第二次世界大戦までの大日本帝国の我儘な言動の反省の上に立って描き得た夢です。私たちはこの夢をないがしろにせず、しっかりと自覚し歴史の中に実現していかねばなりません。この夢は神様の描く夢と重なっていると思います。この夢に向けて神様が、私たちの内に働かれて、御心のままに望ませ、行なわせて下さいますように。

聖句カードの絵を見て下さい。地球上のみんなが虹を見ながら一つになって神様を礼拝している絵でノアの物語の絵です。この絵を、神様がキリストを遣わして、地球上の被造物と人間みんなが平和の福音を告げ知らされ、神の家族、一つになり神様に礼拝をささげて、平和になっている絵、新約の絵として見てみましょう。この絵のように、神様が現代の私たちに夢を描いていて下さいます。

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