日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2023年3月12日 説教:森田恭一郎牧師

「惜しまずにいられない、君のこと」

ヨナ書 三・一~四・四
マタイ一二・三八~四二

今日は、カリキュラム教案に従って旧約聖書のヨナ書三~四章からお話します。この中に「思い直す」という言葉が三つ出てきます。

一つ目は三章九節「そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかも知れない」。ヨナ書の舞台、ニネベの都の人たちは神様が激しくお怒りになるほどに何か悪いことをしていたようです。それで、ヨナに命じて神様の言葉を話すように命じました。 「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」(ヨナ三・四)。それでこれを聞いた王様が「ひたすら神に祈願せよ。各々の悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない」と都の人々に呼びかけ、王様自身も悪の道から離れたのでした。呼びかけ悪の道を離れるために必要な四十日があって良かったですね。

「思い直す」の二つ目は、その続きの一〇節です「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことをご覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」。

三つ目は、これを見たヨナの言葉です。四章二節の終わりの所ヨナは神様から命じられて「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」とみんなに知らせたのに、神様が思い直されたものだから、滅びなかった。それでヨナは怒ってしまう。そして「主よどうか今、私の命を取って下さい。生きているよりも死ぬ方がましです」(ヨナ四・四)と随分、乱暴なことを言い出します。そうしたら神様は宥めるようにして問いかけます。 「お前は怒るが、それは正しいことか」。

 

三つ出てくる「思い直す」。一つ目や二つ目と、三つ目は何か響きが異なります。最初の二つは、ニネベの人たちは悪かった。「でも」悔い改めて悪の道を離れたから、神様は思い直されました。ニネベの都の人々や王様の側に、神様の思い直された理由があります。

それでは三つ目の、神様が思い直された理由は何ですか?  「あなたは、恵みと憐れみの神であり忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です」。 神様が恵み深いから、「やっぱり」災いをくだすのやーめた。神様が思い直された理由は神様の側にあります。そしてヨナ書の一番終わりの所を読むと 「大いなる都を惜しまずにいられるだろうか」(四・一一)、と神様の憐れみ深いお気持ちが理由になっています。

神様は何てお優しい方なのでしょう。でもこの優しさは、悪いことしても叱らないよ、という優しさではありません。ヨナにだって「それは正しいことか」と厳しく問いかけている訳ですから。悪いことをしたら「駄目」って神様は言います。

 

ならば何故、ここで災いをくだすのを思い直されたのでしょうか? ニネベの人たちが悔い改めたからでしょうか? それは一つ目、二つ目の思い直された理由です。もしニネベの人たちがヨナの説教を聞いて悔い改めた、このことを大切なこととして考えるとどうなるでしょうか。主イエスはこう仰いました。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり(=復活して)、彼ら(=今の時代の人たち)を罪に定めるであろう。ニネベの人たちがヨナの説教を聞いて悔い改めたからである(マタイ一二・四一)。自分たちが悔い改めたから、神は災いをくだすのを思い直されたと考えると、その人たちは悔い改めない人たちを裁くことになります。

 

でも主イエスは続けて言われました、ヨナにまさるものがある。思い直される三つ目の理由がありました。神様の恵みです。それならば、悪いことは駄目、と正しく筋を通される神様はどうされたのでしょう? それは、叱る相手をニネベの王様や人たちから、イエス様に変えて下さいました。それでニネベの人たちは災いを受けないで済んだ。全ての人たちの受けるはずの罪の裁きとしての災いを主イエスが負って下さいました。それは神様が、恵みと憐れみの神であり忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方だからです。ヨナにまさるもの、それは主イエス・キリストの十字架の福音です。

私たちに与えられている四十日があるとしたら、恵みに気付く四十日です。イエス様が罪と罰を代わりに負って下さった恵みの故に「思い直してもらった」と私たちが気付いて、イエス様有り難う、と神様に心を向けて礼拝をささげる四十日です。

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