日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年12月15日 説教:森田恭一郎牧師

「神様が我らと共におられます」

詩編一三〇・一―八
マタイ一・一八―二五

 今日の聖書に、インマヌエルという言葉があります。神は我々と共におられる、という意味です。もしかするとちょっと聞き慣れない言葉かもしれません。皆さんで一緒に声に出して言ってみましょう。「インマヌエル」。上手に言えました。

 

今日の詩編の言葉を味わいましょう。神様が共に、一緒にいて下さるということを願っている詩編、待ち望んでいる気持ちが溢れている詩編です。

深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取って下さい。嘆き祈る私の声に耳を傾けて下さい。(詩編一三〇・一―二)。深い淵の底から、特に辛い時、悲しい時、嘆き祈りながら、神様が共にいて下さる、インマヌエルを待ち望みました。

この詩篇で「あなたのもとに」とか「主のもとに」と出てきたら、「あなたと共に」とか「主と共に」という意味です。生徒の皆さん、英語の聖書でもwith you とか with the Lord と訳しています。三ヶ所、言い換えて読んでみます。

主よ、あなたが罪を全て心に留められるなら、主よ、誰が耐え得ましょう。しかし、赦しはあなた「と共に」あり、人はあなたを畏れ敬うのです(三―四節)。それからイスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主「と共に」、豊かな贖いも主「と共に」。主は、イスラエルを、全ての罪から贖って下さる(七―八節)。赦しや、慈しみや、豊かな贖いが主なる神様と共にある。そういう神様を待ち望んでいる切なる気持ちがここによく表れています。私は主に望みを置き、私の魂は望みを置き、御言葉を待ち望みます。見張りが朝を待つにも増して、見張りが朝を待つにも増して。(五―六節)。見張りの兵隊さん、真っ暗な夜、闇の中、いつ、どこから敵が攻めて来るか、見えません。だから早く明るい朝が来ないかな、明るい朝が来ないかな、と切なる思いで朝が来るのを待ち望みます。

 

インマヌエル、神様は共におられるために遠くから来て下さいます。ですからこの詩篇の「主を待ち望みます」というのは、「主よ、来て下さい」と祈り求めるのと同じです。

来週読みます聖書にはこういう言い方があります。三つです。ご覧下さい、立ち帰って下さい、天を裂いて降って下さい(イザヤ六三章)。

一つ目、どうか、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧下さい(一五節)。神様、お顔を私に向けて下さい。眼差しを私に注いで下さい。

二つ目、立ち帰って下さい(一七節)。普通、この言葉は、神さまから離れ、教会から離れてしまった人間が悔い改めて神様の方を向くことを立ち帰ると言うのに、ここでは何とまるで指図するみたいに、人間が神様に向かって、神様、立ち帰って下さい、来て下さいと激しく祈り求めています。

三つ目、天を裂いて降って下さい(一九節)。神さまが来て下さるというのは、天を裂いてまでして降って来るということ。それ程に烈しい思いを以て、主の来て下さることを祈り求めています。

 

主を待ち望むというのは、天を裂いて降って来て下さい、そして我らと共にいて下さい、ということです。でも…、待ち望んでいても、もしなかなか来てもらえないとなったら? いつしか人は待ち望むことをやめてしまいます。見張りが朝を待つにも増して、とありましたが、朝は必ず来ますから待つことが出来る。

いつ来て下さるか解らない。それがずっと続くと、神様がおられなくてもやって行けると勘違いして、本気で来て下さいと祈れなくなっていきます。更には本当に来て下さった時に、共にいて下さる主をお迎えすることが出来なくなります。それで、人々がイエス様を十字架に付けた。それは、イエス様なんか我らと共にいなくてもいいと思うようになっていたからです。そして同時に、主と共にいることが出来なくなくなっていた。

 

それでも神様は遠くからやって来て下さいます。天使はヨセフに告げます。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ一・二三)。インマヌエル、神様が共におられる。だから、来て下さいます。どこに来て下さったのでしょうか。マリアさんのお腹の中です! エーってヨセフさん驚き恐れます。だから主の天使が夢に現れて、まずこう告げました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」。神様が来て下さいましたよ、神様が共にいて下さいますよ。マリアのお腹の中に、聖霊によって宿ったんですよ~! そして「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」。イエスという名前は、神様は救うという意味があります。それで「この子は自分の民を罪から救うからである」。何故、この男の子にイエスと名付けるのか、その命名の理由を教えてくれました。

 

夢で天使のお告げを聞いて、ヨセフはすぐには信じられなかったことでしょう。神様がマリアの所に来られた、神様が共におられるなんて。だから聖書には、ヨセフが「はーい、解りました」と返事をしたとは書いていません。でもヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じた通り、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。ヨセフは返事出来ないまま、でもヨセフは、神様が共におられること、そして自分が神様と共にいることを黙って受け入れました。

 

クリスマスを前にしたアドヴェントの時、大事なことは、神様が共にいて下さるために、来て下さるのをしっかりと待つことです。そして主と共に生きることを受け入れることです。

ヨセフは夢でお告げを受けてから、神様の時が満ちて、実際に男の子が生まれてくるまで、どの位の間、黙ったまま待ち続けたのでしょう? でも赤ちゃんが生まれるのはいつ頃か、大体分かりますから、ヨセフは待つことが出来ました。

 

ところで、皆さん、この歌を知っていますか。

♪もう幾つ寝るとお正月、

お正月には凧挙げて、駒を回して遊びましょう。もう幾つ寝るとお正月♪

もちろん私たちは聖書を読みながら、イエス様が天から降っておいでになるご降誕を待ちます。だからこう歌ったらいいですね。

♪もう幾つ寝るとクリスマス、

クリスマスにはイエス様が、天から降って来られます。もう幾つ寝るとクリスマス♪

ただヨセフは、ベツレヘムへと向かう時には大変だったでしょうね。マリアのお腹がもう大きくなって身重になっていましたから、もう生まれそうだ、という中で、マリアを守り続けた。気長に待つというのではなくて、その時が来るぞ、来るぞ、という切迫感の中で待ちました。それでこう歌ってみましょう。

♪もう幾つ寝るとクリスマス、

クリスマスにはヨセフさん、マリアを支えて

ベツレヘム、もう今晩やって来るクリスマス♪

ヨセフは、神様に一言も文句も言わずに黙って、よくぞ、イエス様の、自分たちの所に降って来られるクリスマスを待ちましたね。そして天使からお告げを受けた通りに、クリスマスを迎えました。神の御子のお生まれです。そして、天使からお告げを受けた通り、その子をイエスと名付けました。

 

こういう讃美歌があります。

♪御子キリストこそ、永遠にいます主、神の時満ちて、処女に宿り、人となりたる、神の御言葉、インマヌエルの主、今宵生れぬ。聞け、喜びの訪れの歌♪(讃美歌21二六二)

これは讃美歌ですから替え歌にしなくてもいいでしょう。各節のお終いの所で「聞け、喜びの訪れの歌」と歌います。訪れの歌、音のずれた歌ではありません。訪れる、来るということですが綺麗な響きですね。その喜びに、私たちを招く讃美歌です。祈りの後、一緒に歌いましょう。祈ります。

 

父なる神様。どうか、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧下さい。立ち帰って下さい、どうか、天を裂いて降って下さい。

神様は御子キリストが、クリスマスの時、私たちの所に降って来て下さるようにして下さいました。インマヌエル、神様が私たちと共におられるようにして下さいました。有難うございます。私たちもしっかりとお迎えして、イエス様と共にいることが喜んで出来ますようにお導き下さい。

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