「主の命、土の器に溢れ出る」
イザヤ 四五・九Ⅱコリント四・七~一二先週は、人の子(=キリスト)が仕えられるためではなく仕えるために来た(マルコ一〇・四五)お姿から、キリスト教保育観、私たちの人生観、そしてヘール兄弟達の謂わば宣教師観
「主にあって、何を願って期待する?」
エゼキエル二三・三二~三五マルコ 一〇・三五~四五今日は『A・D・ヘールに学ぶ』の伝道旅行の開始(五一頁~)をきっかけに考えたいと思います。著者、中山昇によりますと、大阪西教会、大阪東教会の設立、河内伝
「我は信ず&我らは信ず」
マタイ一六・一三~二〇今日はまず、問と答えについて考えます。写真を撮る時、こう呼びかけます。「皆さーん、いいですか。笑ってー。1+1は?」。「ニー」。パチッ。写真を撮る人が1+1は?と問いかけるので、
「主は一人、信仰は一つ」
エレミヤ一・四~八エフェソ四・四~八今日は『A・D・ヘールに学ぶ』の居留地の雰囲気の記事(三四頁~)をきっかけに「主は一人、信仰は一つ」について思いを深めます。弟のJ・B・ヘールの記した記事をご紹介します。
「和解の福音」
エゼキエル四三・二七Ⅱコリント 五・一六~二一先週は『A・D・ヘールに学ぶ』の新宮伝道の記事にありました十津川の隠れキリシタンの話、彼らが御先祖様から聖書の物語を語り継いできたことを紹介しました。そこか
「感謝かな、隠れキリシタン」
創世記 四八・一五~一六使徒言行録七・六~七今日の説教題を「感謝かな、隠れキリシタン」と致しました。私は以前、小林勝さんからあるお話を伺っておりました。河内長野はかつてキリシタンのいた所だ。その事があ
「何度でも種を蒔かれる神の業」
エレミヤ七・二五マタイ一三・一~九今日は種蒔きの譬えのお話しです。 「種を蒔く人が種を蒔きに出て行った。蒔いている間に」(マタイ一三・一~)と、主イエスは大勢の群衆に語り始めました。歩きながらパラッと種を蒔
「自らを摂理の中に気付く時」
詩編七一・一四~一九ローマ八・二八~三〇今日は「神の摂理」について思いを深めたいと思います。『A・D・ヘールに学ぶ』に中山昇はこう記しています(同三三頁)。待つことによって神様との対話が深められて行く。そ
「神様の働きかけに気付く時」
エゼキエル二〇・四四エフェソ 一・一七~一九河内長野教会は来年七月、教会創立一二〇周年を迎えます。教会の創立者は、一番の基は神さまご自身ですが、当教会の歴史上の創立者は、アメリカのカンバーランド長老
「キリストを悟る賢さ」
箴言 一九・一四Ⅰコリント四・七河内長野教会は来年七月、教会創立一二〇周年を迎えます。教会の創立者は、一番の基は神さまご自身ですが、当教会の歴史上の創立者は、アメリカのカンバーランド長老教会から派遣