「主イエスの洗礼」
マタイ三・一三~一七私たちは洗礼を受けます。私たちが罪人だからです。洗礼は頭に水を注ぐ儀式ですが、川で受けることを思い起こさせます。水の中に入ってそれまでの自分が死んでしまいます。そして水から上がるの
「重荷負う柔和な心」
詩編五五・二三ガラテヤ六・一~五今日は説教題を「重荷を負う柔和な心」としました。柔和というと国語辞典には、優しく穏やかな様、とげとげしい所のない、もの柔らかな態度、様子とあります。聖書が語る柔和は大分
「復活の、主の喜びを託されて」
マタイ二八・一~一〇週の初めの日=日曜日の明け方にマグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行きました。イエス様のご遺体が納められているお墓です。すると大きな地震がありました。地震。それは人間の力
「キリストに、父が全てを委ねたもう」
イザヤ五三・一~一三ヨハネ一三・一~五受難週の洗足木曜日礼拝を共にささげ得ますことを感謝します。本日は一三章三節を中心に味わいます。主イエスは、二つのことを悟られました。一つは、父が全てをご自分の手に
「主の霊が我を導く、霊の実に」
詩編一三九・二三~二四ガラテヤ五・一六~二六今日は「霊の導き」について思いを深めます。パウロは今日の箇所でこう語ります。霊の導きに従って歩みなさい(ガラテヤ五・一六)。霊に導かれているなら、あなた方は律
「主の愛を信じ味わう、パンと杯」
マタイ二六・二六~二八今日は聖餐式の話をします。パンを食べ、杯から飲む、聖餐式です。今日はその式は執り行いません。今度三月三十一日のイースター礼拝の時に執り行います。家族友だち礼拝で最近お話してきたの
「福音の、仕えて生きる自由爛漫」
創世記 二・一五~一八ガラテヤ五・一三~一五自由には二つあります。一つは○○からの自由、もう一つは○○への自由です。パウロも二つの自由を語ります。まず、この自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身
「惑わしは人を迷わせ、真理は生かす」
出エジプト記二三・一二ガラテヤ 五・七~一二私たちは今日も教会の礼拝に集いました。当たり前のようにして集いました。でも思えば、このように集っているのは、主イエス・キリストからのお招きを戴いているからで
「見えるものは 見えないものから」
エレミヤ一七・七~八ガラテヤ 五・二~六今日の主題を先に申し上げておきますと、愛の実践を伴う信仰(ガラテヤ五・六)です。主題の前に、今日の説教題「見えるものは見えないものから」について語っておきます。こ
「じっと見る、見えない愛を」
Ⅰペトロ一・八~九今日の招きの言葉に、見えないものに目を注ぐ(Ⅱコリント四・一八)とありました。皆さん、信じるとはこういうことだ、とこの聖句から味わいます。信じるとは、見えないものに目を注ぐことです。今日