「聖なる者になりなさい」
ホセア一一・一〇~一一ルカ 五・ 八~一一神様は愛であられ、義であられ、聖なる方です。先週も触れましたがイザヤは神殿でセラフィムの呼び交わす声に圧倒されました。 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の
「憐れみに胸を焼かれる」
ホセア 一一・八~九Ⅰコリント一・三〇神様は聖なる方です。イザヤは神殿でセラフィムの呼び交わす声に圧倒されました。 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地を全て覆う」(イザヤ六・三、本日の招詞)。
「神の愛、全てはここから始まった」
ホセア一四・二~四Ⅰヨハネ四・七~一〇今日からホセア書一一章の段落に従って四回、愛、正義、聖に関する御言葉を味わって参ります。 ホセア書と言えば、淫行の妻を愛する言葉から始まる書物として有名ですが、神様
「人の子は、仕えるために」
創世記二五・一九~二四マルコ一〇・四二~四五教会の私たちが出来る事は。神様に呼びかけて祈りをささげることです。今日の創世記には、アブラハムの息子、イサクが祈りをささげて願いました。妻のリベカと結婚して
「栄光、神に在れ(二)」
歴代誌上二九・一〇~一三フィリピ 四・一九~二〇「栄光、神に在れ」。先週は、教会創立一二〇周年記念をお祝いし、一二一年目の営みを始めることが出来ました。けさ「栄光神に在れ」の聖句のプレートを受付でご覧
「栄光、神に在れ」
イザヤ四〇・三~五ローマ一六・二五~二八「栄光、神に在れ」。教会創立一二〇周年記念、おめでとうございます。この記念礼拝を共にささげることが出来ますこと、感謝申し上げます。この一年間、一二〇周年を迎える
「まことの神が、われらを民とされた」
創世記一七・一~八ヨハネ二〇・二八十戒の一番初めの所で神様は、ご自分のお名前を教えて下さいました。「私は主、あなたの神」(出エジプト記二〇・二)。「主」というのは、ヤハウェ、聖書では「主」と訳していますが、主
「共に描こう、梦(ゆめ)ここに」
イザヤ 一・一一ヘブライ九・二六b~二八ヘブライ一三・一四~一六今日はまず主キリストの「犠牲」のことを語ります。『A・D・ヘールに学ぶ』にはヘール宣教師自身の説教が載っています(二二六頁~)が、その終わり
「大勢が主イエスのもとに」
詩編 八六・五~一〇マタイ 四・二三~二五「宣教・教育・奉仕」。いつの頃からでしょうか、この三つを当教会の働きを表すスローガンとして語るようになりました。この三つの根拠になるのが今日の聖書個所(マタイ四・
「成長させて下さる神」
詩編 七八・一~四エフェソ六・一~四先週は、語る教師が人格的な神と繋がっているという真理を生徒が掴んだ時の変化、それは聖霊の働きだということを語りました。今日も教会における教育の働きに関わる事柄です。