日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年12月29日 説教:森田恭一郎牧師

「思い深める主の恵み」

イザヤ六六・一―二
ルカ二・一五―二〇

羊飼いたちは、神をあがめ賛美しながら帰って行きました。何故って、天使のお告げの通りに、その日ダビデの町で私たちのためにお生まれになった主メシア、キリストに出会ったからです。

御子がお生まれになりました。マリアとヨセフは、布にくるんで飼い葉桶にこの乳飲み子を寝かせます。

どの位経ったか、ドヤドヤと大勢の人たちがやって来てトントントンと馬小屋の戸を叩いて「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子、いますか~」。どうして私たちのこと、布や飼い葉桶のことまで知っているのだろうと訝しくも驚きながら、ヨセフが馬小屋の戸を開くとそこに現れたのは羊飼いたちです。ヨセフの肩越しに覗き込むと「本当だ、ここにおられるぞ」と口々に言って、みんな嬉しそうです。

ヨセフが「一体何事?」と尋ねると、語ってくれました。「いつものように羊の群れの番をしていたら突然、光が周りを照らしたんです。心の隅々まで見透かしてしまうような主の栄光で、最初は怖かった。『恐れるな』と天使の声が聞こえて来て…」と天使の告げた言葉と天の大軍が加わって空一杯に響く賛美を歌ったことを、大きな喜びに溢れて伝えてくれました。「それで、行って見てこようという事になって…。でもそれからが大変。どの宿屋を訪ねても『布にくるんだだけで飼い葉桶に寝かせるなんて、うちはお客さんにそんな事しませんよ。そんな乳飲み子、ここにはいませんよ』って。それでまた探し回って、やっとここに。そうしたら本当に天使の話した通りに乳飲み子がおられるじゃないですか!」。

このように、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせます。そうです。羊飼いたちは福音を知らせる者となりました。彼らは見聞きしたことが全て天使の話した通りだったので、神をあがめ賛美する者となって帰って行きました。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思いました。マリアはこれらの出来事を聞き流すことなく馬鹿にすることもなく、全て心に納めました。そして思い巡らしていました。

 

思い巡らす。マリアは心の内で思い巡らしましたが、これが他の人と思い巡らすと「議論する、討論する」という言葉にもなります。自分の考えとは異なる考えを聞いて討論するのですから、異なった考えに「出会う」という言い方にもなりますし、更には、敵に出会うと「交戦する、戦いを交える」という言い方にもなる用語です。

先日の聖夜礼拝の時にご紹介しました『神様はどこにいるの』。今朝は、子どもたちの別の問答をご紹介します。

神様って、昼間は何しているのかな?

―ほら、死んだ人がいるでしょ。

その人達と、遊んでいるんだよ。

―食べたり、お話したり飲んだりしているのよ。それから、天使達とおままごとしてるんだわ。

―違うわよ。神様はね、次の日曜日に言う事を準備しているのよ。

友だちと、こうやってお話して議論している訳です。教会学校の子どもたち、保育園や幼稚園の子どもたちが、神様のこんなやり取りをするようになったら楽しいですね。

神様は何をしておられるのか。今年、私たちの教会から天にお送りした方々、安達さん、寒川さん、中山さん、信原さん、(福井さんも)、神様はこの方達とも一緒に遊んでおられる。楽しい想像です。それから次の日曜日の説教の準備している。これを言った子は牧師の娘でしょうか。こうやって他の子たちと思い巡らす。思い巡らし、討論し、気付かなかった思いがけない発想や考え方と出会い共有します。思い巡らすのは大事なことですね。

 

マリアは自分の心の中で思い巡らしています。外見上、静かに乳飲み子の傍らに佇むマリアですが、心の中は激しく議論している。思えば、マリアはこの十か月間、大きくなるお腹をさする度に天使のお告げを思い起こしてきました。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ一・三〇~)。そしていよいよ、出産の日を迎えます。御子がお生まれになるのです!

だから心弾ませて思ってきたかもしれない。神様の御子だから、王宮で産むことになるのかも! でも旅の途中の出産となりそうです…。せめて明るい宿屋! でも馬小屋…。ふかふかの暖かいお布団をかけてあげよう!でも布にくるむだけ…。ベッドに寝かせてあげよう! でも飼い葉桶…。それでも神の御子がお生まれになるのだから光り輝いて生れて来るかも! でも普通の赤ちゃん…。夢裏切られるような現実の厳しさに打ちのめされながらも、この現実を受け入れる他ありません。

 

そんな折に、飛び込んで来たのが羊飼いたちの知らせてくれた天使のお告げの話。そして、神を崇め賛美しながら帰って行く羊飼いたちの姿。不思議な話です。でも作り話とは思えません。マリアは思い巡らしました。馬小屋の現実、天使が羊飼いたちに告げた夢のような現実。それに自分が十か月前、天使から聞いた言葉。それら全てを突き合わせながら思い巡らします。人間は何者なのでしょう(詩編八編)。この私は何者なのでしょう。こんなちっぽけな私なのにあなたが顧みて下さるとは…。

イザヤ書は神様の言葉を記します。天は私の王座、地は我が足台。あなたたちはどこに私のために神殿を建て得るか。何が私の安息の場になり得るか。これらは全て私の手が造り、これらは全てそれ故に存在すると主は言われる。私が顧みるのは、苦しむ人、霊の打ち砕かれた人、私の言葉におののく人。マリアはおののきながら思い巡らします。この飼い葉桶! 御子が憩いお休みになる所となりました。私のこの体! 無事御子を宿す体となりました。私の思い悩むこの心! あなたのことを思い巡らす所となりました。「『布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子』、これが救い主のしるし、この赤ちゃんが本当に神の御子なのですね。私が身ごもってこの子が生まれてきたことも、天使のお告げの通りなのですね。『天には神様に栄光、地には霊の打ち砕かれた、愛が注がれている人々に平和』。今晩もその通りなのですね」。マリアは羊飼いたちの帰った後も、御子のお顔を見つめ、天使のお話しになった出来事を全て心に納めて、十か月前に聞いたお告げが本当だったのだと、思いを深めました。

マリアはこの晩、羊飼いたちの姿と相俟って、天使の告げた御言葉が本当だと、心の中に広がり成長していくのを経験しました。また一生涯かけて、主イエスの御言葉とお姿が心の中に広がり成長していくのを経験していきます。「御子と私たち、これからも御心の成る中を生きるのですね」とクリスマスの出来事と主イエスの出来事が自分の人生に繋がりを持つまで思い巡らしていきます。

 

さて皆さん、今年を振り返って、教会の礼拝に集い、御言葉に耳を傾けてきました。この主イエス・キリストがこの自分のためにお生まれになって来て下さった、十字架にかかって下さった。甦って下さった、今は神の右にあって執成していて下さる。そのように聞き、そう思いを巡らし、思いを深めてきました。

もちろん私たちは、あの羊飼いたちのように主の栄光がこの自分の周囲を照らした訳でもなく、天使の言葉やその大軍の賛美の大空一杯に響き渡る歌声を耳にした訳でもなく、飼い葉桶の乳飲み子を直接見た訳でもない…。毎年、クリスマスの御言葉を聴きながら想像するだけです。

でもそうやって教会に繋がっています。教会はキリストの体、恵みにより召された者の集いです。私たちはお互いに支えられて歩んでくることが出来ました。そのことを通して、人間に繋がり仲が良くなることを超えて、誰よりもキリストに繋がります。大事なことですね。教会でキリストの御言葉を聞きお姿を心に刻んできたからです。そのように歩んで来ました。

思えば不思議な出来事が起こっています。実は皆さんも、羊飼いと同じ経験の中に包まれているのではありませんか…。皆さんも思うようになってきました。「さあ、ベツレヘムへ行こう(つまり教会へ行こう)。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか」。そして話し合い、家族や友だちを誘ったりもして、教会の礼拝に集って来ました。あるいは求道中の方は、羊飼いたちが探し当てようとしたように、今、キリストを探し求めていることと思います。

そして又、皆さんも色々と思い巡らしながら、マリアと同じ経験の中に包まれているのではありませんか。礼拝をささげる者になり、そうやって御言葉が心の中に成長していきます。そうなるようにと救い主が天から私たちのいる地上へと降りて来られ、今は天にあって執成して下さいます。

それからまたベツレヘムに行く前に羊飼いがみ告げを聞いたように、教会に行く前の人たちにも「地には平和」と御言葉が注がれているのでしょう。

私たちは心して、主キリストに繋がり、主の御業をこそ携えて、年を越し、新しい年を迎えます。