イザヤ七・一四
ルカ 二・一~七
クリスマスの晩。家畜小屋の二人の所にもイエスさまが来られました。
マリアは、ヨセフと一緒になる前に、ガリラヤのナザレの町で天使のお告げを聞きました。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ一・二六~)。その時以来マリアは大きくなるお腹をさする度に天使のお告げを思い起こし、お家で出産の準備もしていました。
ところが突然、皇帝の命令で全住民は自分の町で住民登録のため旅立たねばならなくなりました。マリアとヨセフも遠く離れたベツレヘムの町まで出かけます。パッカポッコとマリアはロバに揺られ、ヨセフはロバの綱を引きながら旅を続けます。そして「やっとベツレヘムの町が見えてきたよ」。
宿屋での出産になりそうです。ある宿屋の前で「ここがいいい」と思いました。それなのに満室でした。他を捜してもベツレヘムの宿屋はどこも一杯、二人の泊まる場所はありません。こんなはずではなかった。にぎやかな宿屋を前にして、ヨセフとマリアの気持ちは不安で一杯です。どの宿屋も迎え入れてくれません! 何てこった。どの宿屋も迎え入れてくれません……。二人は寂しくて涙がどっと溢れます。
やっと見つけたのは宿屋の代わりに馬小屋です。「こんなの嫌だ」。でも生まれそうです。もうそんなこと言ってられません。ここにあるのはベッドの代わりに藁を敷き詰めた飼い葉桶、用意できたのはふかふかのお布団の代わりに布だけです。ヨセフと二人だけの静かなこの場所で、マリアは出産の時を迎えます。
この晩、赤ちゃんはオギャーオギャーと元気に生れて来てくれました。布にくるんで飼い葉桶に寝かせます。赤ちゃんは落ち着くとにこやかに笑ってくれました(聖句カード二〇二五年度版NO.37)。これは画家の信仰のセンスですが讃美歌にも。♪きよしこの夜 み子の笑みに、新しき代の 明日の光、輝けり、ほがらかに♪
マリアとヨセフも、にこやかな表情になりました。「これで良かった……」。神さまのご計画の中に導かれ守られていたのだ、と思いました。
いつしかスヤスヤと眠るイエスさま……、マリアは天使のみ告げを思い起こしていました。「生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。もしマリアがイザヤの言葉も思い起こしていたら、それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(イザヤ七・一四)、このイザヤの預言や天使のお言葉、これと、目の前にスヤスヤと眠る乳飲み子イエスさまのお姿と、この二つを重ね合わせながら、マリアとヨセフは「私たちのこの所に、聖なる者、神の子が来て下さったのだ」と神さまの聖なる出来事に包まれ、心は満たされ慰められ励まされました。そして、イエスさまとこれからも一緒にい続けようと思いました。
