申命記 六・六~九
Ⅱテモテ三・一四~一六
説教題を「教育伝道の夢と幻」としました。今日は、河内長野教会が教育伝道の歴史を持つ教会であることを確認したいと思います。
(教育伝道の言葉は『A・D・ヘールに学ぶ』にも載っています(六三頁)。「宣教と教育と奉仕を教会の三つの使命とする在り方は、キリスト教の宣べ伝えられる所、何処でも切り離せないものとして展開する。ヘール兄弟の伝道は『教育伝道』と呼ばれることがしばしばであった。それは教会を建てることと、学校を建てることが、いつも同時並行だったからである」。ここで学校とは、今の大阪女学院のことでしょう。けれどもそれは、教育伝道は学校にお任せしてきたという話ではなく、教会自身も教育活動を担ってきました。
河内長野教会が教育伝道を担ってきたと言われる理由の第一番目は、まずその始まりにあります。当教会の最初の記録は「一九〇一年(明治三四)年 石田たりよ氏、長野神社社務所にて、日曜学校を開設する」です。当教会の前史のその最初は日曜学校の働きであった、当教会は教育伝道から始まったと言える訳です。石田たりよさんの呼びかけに集った子どもたちがおり、それを認めた親御さん、ご家庭があったということです。当時はキリスト教に対する反感、警戒心が強くなってきた時代です。その様な中で河内長野教会は産声をあげる訳です。
理由の第二番目は、初代の信徒たちが、ヘール先生の教育伝道の志を大切な遺産として受け継いでいた(『A・D・ヘールに学ぶ』一七五頁)です。そして教育関係者が多かったようです。例えば、先ほどの石田たりよさん、長野小学校の先生だったらしい。西端政吉さん。彼は大阪教会で洗礼を受け、小山田が実家で当教会の役員になった人物ですが、大阪師範学校に学んだ教育者。ヘール宣教師から最後に洗礼を受けた植田慎一さん。彼は後に清教学園の理事長、校長先生になりましたが、元々小学校の先生でした。教育に理解のある人たちです。
理由の第三番目は、ヘール宣教師が、当教会と富田林教会は一九〇五(明治三八)年に講義所認可申請をし、五年後に両者合わせて、いわば格上げされて講義所から河南伝道教会を設立することになります。けれども、実際は双方共に自立できず、ある時は富田林で、ある時は河内長野で礼拝を守るということが続いた。そんな中で再起できたのは、この教育に召された人たちが、日曜学校を継続し、子どもたちの教育を守り通したということにある(同一七七頁)。日曜学校の営みが教会を継続させた力になった。
河内長野教会が教育伝道を担ってきた理由の第四番目は、歴代の牧師たちも、日曜学校教育を担われたことです。昭和になった頃の吉野丈夫牧師は元々小学校の先生であって当教会で洗礼を受けた生え抜きの牧師ですが、日曜学校新聞を発行し、日曜学校は教会を造り上げていく大切な方策でありました。また吉野牧師は、後に清教学園幼稚園になるめぐみ幼稚園を譲り受けました。戦後になり橋本牧師も二十箇所以上に及ぶ日曜学校を立ち上げて、その延長線上に中高生のための清教塾や成人のための農村福音学校を立ち上げていきます(以上、百年史から)。
私たちの教会が教育伝道を担ってきたと言われる理由の第五番目は、戦後、清教学園中学校・高校を設立し、清教学園幼稚園と共に連携を図ってきたということです。そして教会は、子どもたちや高校生たちが集う居場所として開放しました。これらが教育伝道を志してきた理由です)。
以上、当教会の教育伝道の歴史を振り返って思うことは、ヘール宣教師の初めから代々の信徒も牧師たちも、教育伝道に熱心だったということ、そして教会の呼びかけに対して子どもたちも集い、親御さんたちもよく理解してくれたことです。
(因みに、親御さんたちが理解したのは、キリスト教を受け入れたというより、石田たりよさんも、長野小学校の教員で、石田先生の集会なら行ってもいいよ、という人間的つながりから受け入れて下さった、のではないでしょうか。戦後の清教学園中学校も、先生方には理想があった訳ですが、親御さんにしてみると、その教育を理解したこと以上に、あの先生が担っている学校なら行ってもいいよ、と担い手に対しての信頼から生徒を送り出してくれた面が少なからずあったのではないかと推察します)。
旧約聖書は信仰教育の大切さを強調しています。今日、私が命じるこれらの言葉を心に留め、子どもたちに繰り返し教え、これを語り聞かせなさい(申命記六・六~)。信仰が継承されていくのは、信仰教育によります。
新約聖書では主イエスが語ります。 「私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい」(マタイ一一・二九)。主イエスから学ぶことを求めておられます。パウロも弟子のテモテに語ります。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたはそれを誰から学んだか知っており、また自分が幼いと日から聖書に親しんできたことをも知っています。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることが出来ます(Ⅱテモテ三・一四)。学ぶ教育の大切さを語ります。
時代が大きく変動していく中で、教会教育が困難になっています。教会に来なくても楽しいことが世の中にたくさんあるからです。日曜日には部活など、することも一杯あって、教会に居場所を求めることが出来なくなったし、その必要もなくなったのかもしれません。大人も同じですね。しかし教会にしかないものがあります。キリストの福音です。それは聖書に証しされているキリストから学びます。教会が世の中にある楽しみと同じことをしても、人は興味を持たないでしょう。教会しかない楽しさを知ってもらう。それは聖書そのものです。聖書が証する福音の喜び、それを伝える喜びです。河内長野教会は福音をコツコツと教え伝える教育伝道を社会変動の中で工夫しながら、ずっと担ってきました。それを今一度、私たちは感謝と誇りを以て心に留めたいと思います。 今日は教会学校教案4月号から一文をコピーしました。ここに、秋田県の大曲教会の田邊由起夫牧師が、教育伝道の試みを記して下さいました。これを読みますと、教育伝道を役員会が発案し、その具体的働きを教会学校が担い、呼びかけに子どもたちやその親御さんたちが応えて親子で教会に集ってくれている様子が手に取るように分かります。最初の頁だけ読んでみます。「教会学校よ、立ち上がれ! 伝道の喜びの回復」。
聖書は、私に学びなさい、繰り返し教えなさい、と語っています。だからその様にすれば、聖霊なる神様は応えて下さると改めて思います。
さて、礼拝後に教会創立一二〇周年園記念の第四回講演会を、和田栄氏より「梦を託されて」と題してご講演を伺います。和田氏は教育畑を歩んで来られた方です。教会の教育伝道にとっても良い気付きを与えられるのでは、と楽しみです。夢は、私たちが抱く夢でもありますが、聖書の夢、そして幻は、神様が私たち教会に託しているものです。私たちが応えれば実現していく夢です 夢・幻はイルージョン、儚い夢ではなく、神が見通しているヴィジョン、ご計画です。繰り返しますが、聖書は、私に学びなさい、繰り返し教えこれを語り聞かせなさいと語っています。だからその様にすれば、聖霊なる神様は応えてご計画を成就下さいます。