日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2020年7月19日 説教:森田恭一郎牧師

「教会と私たちみんなの誕生日」

イザヤ書 四三・一
使徒言行録一八・七~一一

本日はようこそ、礼拝においで下さいました。今日は三つの意味で特別な礼拝です。まず一番目は、家族友だち礼拝で特別な礼拝です。ご家族やお友だちをお誘いします。今日も皆さんがおいで下さり、一緒に神様に礼拝をささげます。とても嬉しいことです。皆さん、おめでとうございます。

 

それから、今日の礼拝は、河内長野教会の創立記念の礼拝です。今からおよそ百四十年前に、アメリからA・D・ヘール宣教師家族が日本にやって来られまして、大阪、和歌山、そして三重に出かけ、神の言葉を伝え、イエス様を信じる人々の教会が建てられました。それで、河内長野の地にもこの教会の営みが始まったのです。A・D・ヘール宣教師が大阪府に教会設立の申請書を提出した一九〇五年七月一八日がこの河内長野教会の誕生日です。一八日ですから昨日になりますが、今年の誕生日で百十五才になりました。この間、聖書から神様の言葉を語り、多くの方たちがキリストを信じるようになりました。という訳で、教会に向かって、おめでとうございます。

それから、世界で最初の教会が誕生したのはペンテコステです。それからもう一つ、イエス様がお生まれになった誕生日は、クリスマスですね。みなさんも誕生日があります。皆さんの誕生日も特別なお祝いの日です。今日ではないかもしれませんが、皆さんそれぞれにおめでとうございます。

 

今日、特別な礼拝の日であることの三番目は、今日は洗礼式があります。お二人の方が洗礼を受けられます。洗礼というのは、実はキリストと結ばれて新しく生まれる誕生のことです。

この後に執り行います洗礼式では頭に水をかけます。それは川の水を表しています。昔は川で洗礼を授けました。洗礼式では水の中に沈みます。息が出来るようにまた水から上がってきますが、洗礼は、水の中に沈んでキリストを信じなかったそれまでの古い自分が死んで、今度は水から上がってキリストを信じる新しい人に生まれ変わる、ということを表わしています。キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(Ⅱコリント五・一七)。だからキリストを信じる教会の人は、誕生日が二つあります。それで今日、洗礼を受けられるお二人の方、誕生日おめでとうございます。

 

さて、今日の聖書のお話です。パウロが、神の言葉を伝えようとギリシャのコリントという町にやって来ました。神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった(ユダヤ教の会堂です)。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。キリスト教徒になりました。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ(新しくイエス・キリストを信じ)、洗礼を受けた。コリントのこの人たちも、キリストを信じて洗礼を受け、キリストに結ばれた新しい人に生まれ変わった訳です。

 

続けて聖書を読みましょう。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ」。

コリントの町の人たちを「私の民」と言って下さいました。まだキリストを信じてはいない、洗礼も受けていない人たちです。でも既に「私の民」です。イザヤ書では私はあなたを贖う(買い取る。この聖句では、キリストが十字架でご自身の命を払って罪人の私たちを買い取る。それで)、あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ(四三・一)。私の民だから、いつも、いつまでも、あなたの名を呼んであなたを忘れはしない、私のものだから大事にしますよ。神様がそう言って下さるのですから、地上に生きている間も、天国に行ってからも、大事にして戴けます。聖書の別の箇所では、「宝の民」(申命記七・六)とも言っています。それでパウロは一年六か月の間ここに留まって人々に神の言葉を教えたのでした。

皆さんは、神様の「宝の民」です。イエス様の「私の民」です。河内長野には私の民が大勢いる。それで、ヘール宣教師の時から、教会はここに留まって、神の言葉を伝え続けてきました。

今日は、信じる人たちを生み出してきた教会の誕生日。新しく「私の民、宝の民」に生まれ変わるお二人の誕生日。みんなでお祝い致します。

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