エレミヤ一五・一七~二一
ガラテヤ 一・一八~二四
神はパウロを、恵みによって召し出し、御心のままに御子を示して、その福音(御子)を異邦人に告げ知らせるようにされた(ガラテヤ一・一六)。それはパウロの側に、神様から呼ばれて召し出されるに相応しい条件が整っていたからではありません。神様の側の全き完全な恵みによって召し出されました。結果としてパウロの賜物は用いられたでしょうけれども、それはパウロが神の御前に誇ることではありません。ただ呼ばれ召し出されたことに対して呼応しただけです。ユダヤ教徒であった彼が、全き恵みによってキリスト教徒になり、御子を告げ知らせる者になりました。キリスト教徒になったと言っても、彼はキリスト教を信じたのではなく、キリストを信じました。御子を示され、御子を福音として信じました。御子の御前に生きる者となりました。そして今日の主題ですが、御子の御前に、独り立つ者となりました。
その後パウロがしたことは、もう一度一六節からですが、御子を示して、その福音(御子)を異邦人に告げ知らせるようにされた時、私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。アラビアに退いて何をしていたのだろうか。またそれから三年後(ガラテヤ一・一八)とありますが、三年間 何をしていたのか。「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」(ガラテヤ一・二三)と言われていますから、三年後の段階で福音を告げ知らせていると周囲から認識されていたことは確かです。けれども、伝道に先立って、アラビアに退いて瞑想していた。即ち召し出され御子を示され告げ知らせるようにされたこの神様からの出来事を振り返り、その意味を納得して自分の内に言葉化し、告げ知らせることが出来るように事柄を整える営みをしたのではないか。
パウロはその時、色々なことが頭をよぎったと思います。人間的な言い方ですが、今までユダヤ教徒として生まれも育ちも生き方も最高級だったのに急にキリスト教に転向する訳ですから、仲間のユダヤ教徒たちから何と思われるか。裏切り者と思われるのではないか。そしてまた、今まで徹底的に神の教会を迫害し滅ぼそうとしていた(ガラテヤ一・一三)のですから、キリスト教徒の人たちから、受け入れてもらえるだろうか。社会的有り様から考えれば、ユダヤ教徒のままの方が安定したままいける。敢えて人間的なことを言えば、このようなことも思い巡らすことはあったことでしょう。でももちろん、そうはなりませんでした。
何故か。それは気付いたからです。自分がユダヤ教徒としてしてきたことは、先祖からの伝来を守るのに人一倍熱心で、ユダヤ教に徹しようとして(ガラテヤ一・一四)いただけだった。 それに気付いた。彼が熱心だったのは、神様が与えて下さった恵みではなかった。そうではなくて、先祖からの伝承であった。イスラエルの民もユダヤ教徒も元はと言えば、恵みによって呼び召し出された者たちであった、はずです。それが、自分たちが神の民であるのは、律法をしっかり守っているからだ、自分たちの努力の結果だ、と勘違いするようになった。それが先祖伝来の宝物になってしまった。律法主義になった。パウロもこの先祖からの伝承に人一倍熱心に生きた。これに気付いた。
イスラエルの民、ユダヤ教徒たちの伝承が変質してしまったのか。理由は分かります。北王国イスラエル、南王国ユダが滅んだ。神様がアッシリアやバビロニアを用いて滅ぼされたのは、自分たちが神様の律法を守らずに、異教の神々を拝んだからだ。それで国の滅びた後、ちゃんと国を再建し復興できるように、真の神様のみを信じて律法を守ろう、律法を守らなければユダヤ教徒とではない、と自覚した……。もっともな反省です。でも、神の恵みと人間の業とがひっくり返った。
このことは、キリスト教会の私たちも心に留めておくべきことです。教会も恵みのキリストから離れて、いつしか教会が勝手に造りだしてしまった伝承に思いが行ってしまうかも知れないからです。宗教改革時代のカトリック教会がそうでした。私たちだって、もし、キリストの恵みと関係の無いところで、これをしなければ教会ではない、などと誤った伝承を主張し始めたら、同じ事です。
それならば、どうしたら誤った伝承にならないで済むのだろうか。イスラエルの民の場合、思いますにそれは、イスラエルの民が、御前での孤独に耐えられなくなったからです。今日は旧約聖書からエレミヤ書を読みました。私は笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく、御手に捕らえられ、独りで座っていました(エレミヤ一五・一七)。エレミヤは独りで座っていたのに対し、イスラエルの民は戯れていた。戯れると言えば思い起こすのが、出エジプト記の三二章の記事です。モーセがシナイ山からなかなか降りて来ないのを見て、民が言いました。「我々に先立って進む神々を造って下さい」。それで金の子牛を造り、民は座って飲み食いし、立っては戯れた(出エジプト記三二・六)。モーセがなかなか戻ってこないので、民は孤独を感じた。そして代わりに金の子牛を造り、戯れた。
エレミヤは独りで座っています。それが出来たのは御手に捕らえられていたからです。御手に捕らえられて、エレミヤは何をしたかと言いますと、ちゃんと神様に訴えかけました。呟いただけというのではありません。あなたは私を憤りで満たされました。なぜ、私の痛みはやむことなく、私の傷は重くて、癒えないのですか。あなたは私を裏切り、当てにならない流れのようになられました(エレミヤ一五・一七~)。共にいて下さっても全然頼りにならない、と。それに対して神様が仰ったことは、イスラエルの民を悪人、強暴な者と表現し、エレミヤには私が共にいて助け、あなたを救い出す(エレミヤ一五・二〇)ということでした。エレミヤは、四方の敵対関係に囲まれても、この神様の御手に捕らえられていたので、独りでいることが出来ました。周囲におもねることなく、語るべきことを語ることが出来ました。
パウロも、アラビアに退いて、独り、神様の御手に捕らえられて、人生を振り返った。ユダヤ教では恵みの神様ではなく、先祖からの伝承に生きていただけだ。その伝承では、あの十字架のイエスは自分を神として真の神をないがしろにした、ただの不信心な人間だった。でも、あのイエスが真の神の御子であられた。あの十字架はこの私の、そしてイスラエルの民の、全ての人の罪を代わりに担う贖いの十字架だったのだ。これからの人生、私は恵みの神様、イエス・キリストに人生を献げよう、と納得出来た。何のために生きるようにと神様が示しておられるのか、御子を異邦人に告げ知らせるために。そう整理がついた。誰にも相談する必要は無い。イエス・キリストの御手に捕らえられながら、イエス・キリストに問いかけ、整理がついた。御前での孤独を貫き、孤独を愛せた。
そして、異邦人へ伝道を始めました。三年後、エルサレムに上りました。シリア、キリキリアにも出向きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。彼ら、ユダヤ教徒だった人たちのいるキリスト教の人々からどう見られたでしょうか。当初、受け入れてもらえるかと心配もあったでしょうが結果はこうでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、私のことで神をほめたたえておりました。案の定、信用してもらえなかったというのではなく、むしろ自分のことで神様をほめたたえてくれたのでした。人間的思いを越える、聖霊なる神様の導き、事の展開となりました。人間的心配をする余り、恵みを見失ってはならないということです。