日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2024年8月11日 説教:森田恭一郎牧師

「平和の王」

創世記一四・二二~二四
ヘブライ七・一~三

今週は六日に広島に、九日には長崎に原爆が投下された七九年目の記念する日を迎えます。そして次週は敗戦の日を迎えます。平和を実現する人々は幸いである(マタイ五・九)の御言葉を私たちは知っています。

明治維新の頃、キリシタン禁令の高札が撤去され、西欧文化を持ち込むキリスト教はブームになりました。その後、明治憲法発布、教育勅語が制定されて、キリスト教は弾圧されていきます。

戦争中、キリスト教会やキリスト教徒は何をどう考えたのか、この歴史から今の私たちが何を思うか、毎年、思い深めるべき課題です。

 

天皇制の下でまた戦時下でのキリスト教徒であることの課題は、第二次世界大戦の敗戦まで続きます。第二次世界大戦中においては、当時の教会の週報を見ますと、礼拝の冒頭に「国民儀礼」とあったり、教会会議(総会)の冒頭に「宮城遥拝、出征兵士並びに戦没兵士のため一同黙祷」とあったりします。またクリスマスの献金の呼びかけには「軍用機献金をささげよう」とあったり、教会員に赤札が届くと「栄えある応召に接し、入営されることは当長野教会としても栄誉なことであります。就きましては、入営送別壮行会を教会堂で致します」と週報に掲載されたりもしています。

特高警察がいつも目を光らせているからやむを得なかったとも判断できますが、あの時代、喜ばないわけにはいかなかったとも判断できます。戦前の教会がとった態度が良かったかどうかを今の視点から批判するのではなく、これからどう姿勢を保つのか考えることが大切です。

 

ヘール宣教師の明治時代に戻りますと『A・D・ヘールの生涯』から少し長くなりますが引用します(九五頁~、関連並行箇所『A・D・ヘールに学ぶ』一四五頁~)。中山昇氏の記述です。

宣教師が宗教的な侵略者と見做され、クリスチャンが非国民、売国奴のレッテルを張られた時、敵対する者のために祈れと仰せになったイエス様の御言を畏れかしこんで、何とかこの国に和解の福音を宣べ伝えようとする努力が、日清戦争という思いもかけぬ事件に出くわし、その戦争への協力という形でしか信頼を取り戻すことの出来なかったのは、明治のクリスチャンの悲しい運命であった。しかし何が何でも主の御名を現さねばならぬ者が、心を痛めつつとった勇敢な振る舞いに私たちは敬意を表する。彼らは戦場に出て、誰よりも壮絶な戦死を遂げることによってキリスト教の戦略者の手先でないことを立証したのである。A・D・ヘールはその頃の様子を次のように記している。「私たちクリスチャンは全ての人々が尊敬している天皇に対して忠実であるよりも、イエス・キリストに、より忠実であると言われており、キリスト教をそのように見る見方が強まっている。しかし、戦争以来、私たちクリスチャンがその中で積極的な仕事を分担したので、それが彼らの偏見を良い方向へひっくり返すようになった。多くの人々が戦場に出かけ、そして死んだ。クリスチャンもやはり忠実な人たちであるということが実証され、人々は再び、多かれ少なかれ好意を持つようになった。キリスト教は黙認されるというだけでなく、尊敬され多くの人々がそれについて研究するようになった。かくして再び伝道の門戸が開放されたのである」。

さてそのような空気の中で、日本におけるクリスチャンたちが、組織として取り上げた一つの具体策は、傷病兵の慰問と出征兵士の聖書頒布であった。

中山昇氏は『A・D・ヘールの生涯』の日清戦争の記事の終わりにこう語っております。「南北戦争から伝道者へと導かれた、A・D・ヘールの心の軌跡を、もっと知り得たらと切に思う。人間は矛盾の只中で生かされている。太平洋戦争の時代、基督教徒はどう生きたか。戦後六十年、まだ私たちの心は葛藤の中にある。二度と戦争はしないと唱えた平和憲法が、本当の悔い改めで受け入れられたものであるかどうかが、今問われている」『A・D・ヘールの生涯』(一四七頁)。

そこで、戦前の軍事教育の反省を踏まえて、戦後、清教学園も創立されました。日本のキリスト教の学校の中で戦後に建てられたことが意義深いです。私たちも、戦前の反省から制定された日本国憲法、基本的人権、国民主権、平和主義を唱える日本国憲法の意義を深く受け止めていきたいものです。

 

さて、今日の聖書個所ですが、アブラムは二人の王に出会います。まず一人目はソドムの王様。親戚のロトがいる国で戦争になった。ロトを救い出すためにアブラムも戦い、応援してもらったソドムの王が彼を出迎えます。お礼を差し出しますと、アブラムが応えます。「私は、天地の造り主、いと高き神、主に手を挙げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴紐一本でも、決して戴きません。『アブラムを裕福にしたのは、この私だ』とあなたに言われたくありません。私は何も要りません」(創世記一四・二二~)。こう言って、この世の王、ソドムの王から何も受け取りません。

もう一人出会った王様は、サレムの王、メルキゼデクです。アブラムはメルキゼデクから祝福を受け、そしてアブラムの全ての持ち物の十分の一をささげました(創世記一四・一八~一九、ヘブライ七・一~)。メルキゼデクは、ヘブライ書によると「平和の王」であり彼は神の祭司であり、父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、神の子に似た者であって、永遠の祭司です、と言われているようにキリストの姿を現しているような存在です。

アブラムはこの二人の王に出会い、この世のソドムの王からは何も受け取りません。受け取ればこの世的に言うと大きな利益になったであろうに受け取りません。ただ、自分と一緒に戦った若者たちには分け前を取らせるようにソドムの王に語ります。この世を生きる上での配慮はします。アブラムは代わりに神様からの祭司、メルキゼデクからは祝福を受け、十分の一をささげ、これからも祝福の中に生きようと決める訳です。

 

信仰者として神の恵に生き、この地上に存在としては配慮しながら生きる。ここにアブラムの生きる姿勢があります。

私たちは戦時下なら尚更のこと、通常でも日本人として生きること自体が、異教文化で証しを立てていく喜びでもあり、時に矛盾の只中に歩まねばならない労苦でもある訳です。それがキリスト教徒として歴史を生きる使命でもあります。ただ今から聖餐にて、私たちも祝福を戴きます。

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