ルカ二・一四~二〇
クリスマスは夜の出来事でした。暗闇に輝く光の祭典です。
クリスマスの晩、マリアは一人の男の子を産みました。以前、天使から神様の御子、神様ご自身だと告げられていた乳飲み子です。ナザレの町から幾日かかけてロバの背中に揺られながらでしょうか、ベツレヘムの町にやっと辿り着いて、着いたばかりの所での出産となりました。
その乳飲み子は神の御子であられるのに、私たち生まれた時の誰とも変わらない普通の乳飲み子です。しかも王宮で生まれたのではなく家畜小屋で、暖かいお布団ではなく布に包まれ、ベッドではなく家畜用の飼い葉桶に寝かされただけです。ヨセフにしてもマリアにしても、そうしたくてしたのではありません。せめて宿屋にでも泊まれればと思っていました。願い通りにはなりません。往き帰りの旅路の途中ではなく、丁度、町に着いてからの出産であったのがせめての救いでした。
天におられた神の御子なのに、そういう苦難を味わう私たちの地上の人生と同じ、いや、それ以上の試練の中に、この乳飲み子は天から来られたのでした。戦災や被災で自分の家をなくした人たちの困窮と重なります。御自身が、人々のいわば暗闇の試練を共有する所からその御生涯を始められたのでした。生まれたばかりの乳飲み子、その母マリア、そして傍らに佇むヨセフ、誰も見向きもしない、誰も知らないクリスマスの晩の家畜小屋です。そして、誰からも見向きもされない暗い経験は、どの時代、どの場所でも私たちの日常生活、日常の社会にあり得ることです。
この暗い家畜小屋に、突然、思いがけない訪問者がやって来ました。羊飼いたちです。羊飼いたちはこの夜も、いつものように野原で羊の群れの番をしていました。すると突然、天使が近づき、神様の栄光の光の中から声が聞こえてきます。 「恐れるな。 私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシア(キリスト、救い主)である。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである」(ルカ二・一〇~)。天使を通しての神の御言葉です。そして、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美し始めました。 「いと高き所には栄光、神に在れ。地には平和、御心に適う人に在れ」。 天使の声と夜空一杯に広がる天使たちの姿、また響き渡る賛美の歌声。思いもかけない天上の世界を見聞きしました……。歌い終わると天使たちは、サーッと天に去って行き、また元の夜の風景となりました。
けれども、これを見聞きした羊飼いたちは、神様の栄光が輝く光に包まれ、天使が語る御言葉、また歌い交わす賛美の歌声がその心に満ち満ちたのでした。そして彼らは心合わせて、わざわざベツレヘムへと、生まれたばかりの御子の所へと向かうのでした。彼らが飼い葉桶に寝ている乳飲み子をやっと捜し当てると「ここにおられるぞ、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子が!」 さっき天使が告げて下さった通りの光景を見て、天使の言葉を聞かせてあげました。
ベツレヘムの街中に急にやってきた羊飼いたちに驚いた町の周囲の人たちも、何事かとやって来て、生まれたばかりの普通と変わらない乳飲み子がいることを知りました。そして羊飼いたちから聞いた天使の言葉を重ねて、不思議に思いました。
マリアはこれらの出来事を全て心に納めて、思い巡らしました。周囲の人たちは、私たちの姿、乳飲み子の様子を先に見て、羊飼いたちから天使の言葉を聞いて、目にしたことの深い意味を知り不思議に思ったのですね。一方羊飼いたちは、天使から聞いた言葉を先に聞き、ここに来てその通りになっているのを見て、天使の御言葉が本当だと納得したのですね。そして羊飼いたちは見るからに嬉しそう、喜びに溢れている。 ヨセフと私はと言えば、布にくるめて飼い葉桶に寝かせるのも、他にどうしようもなく、こうしただけなのに、でも天使たちは、これを神の御子がお生まれになったしるしにして下さった。やっぱりこの子が、本当に神の御子なんですね、と深く深く思い巡らしました。 ヨセフとマリア、周囲の人たち、そして羊飼いたちは、暗い夜、初めて顔を合わせた人たち同士です。そうであるのに、天使の言葉を聴き、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子のお姿を見て、天使のお告げの通り、この乳飲み子は神の御子なのだ、と彼らは信仰の心を一つにしたのでした。 そして羊飼いたちは、この家畜小屋で見聞きしたことが、全て野原で耳にした天使の話した通りであったので、天使の御言葉、天使のお告げは本当だ、と神をあがめ、賛美しながら、夜道を帰って行きました。「いと高き所には栄光、神に在れ。地には平和、御心に適う人に在れ」。 天使たちと同じように神様と心を一つにして、心は光に包まれ、喜びに溢れて、新たな日常生活を始めたのでした。