詩編一三九・七~一二
Ⅰペトロ三・一八~一九
本日は教会暦では棕櫚主日です。主イエスがエルサレム入場の際、棕櫚の葉を敷き詰められて迎えられた。そしてその週の金曜日には十字架にかけられた、受難週の日曜日です。主イエスは十字架にかけられ死んで葬られました。地上の存在としては死なれたことをはっきりと語っています。今日の使徒信条は「陰府に降り」の箇所です。最も低い所まで下られました。墓におられたままであったのではなく、もっと低く、陰府まで下られました。その所で、今日のペトロ書の言葉で言えば霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちの所へ行って宣教されました(Ⅰペトロ三・一九)。 使徒信条が今の形へと整えられていく過程を調べると「陰府に降り」は後の時代に付け加えられたもので、より古い形にはなかったそうです。だからその分、付け足しの、価値の劣る文言だとも言えるのかもしれませんが、反対に、敢えて付け加える積極的な意義があったとも言えます。キリスト教があのカナンの地域から地中海世界へと拡がる中で、異教社会の人たちから問いかけが起こった。キリストを信じることの大切さは分かるが、キリストを信じないまま、あるいは、そもそも福音に接することがないまま亡くなった人はどうなるのか、という問いかけです。 当時の教会はこれに応える必要に迫られた。その答えが「陰府に降られた」。キリストは十字架で死なれた後、甦られるまでの間、象徴的に言えば、地上にキリストのおられなかったあの土曜日、陰府に降っておられた。そこで信じることなく亡くなった人々に宣教されていたのだ、そう信じますと教会は応えた訳です。 このことは日本社会に生きる者にとっても、未信者の家族や友人たちのことを覚えて抱く、真剣な問です。先日、広報紙のカナンの風を隣近所の方々にお配りした折、お尋ねした方が言われるのには、東南アジアから戻ってきた友人が「向こうは活気がある。日本は寂しくなった」と聞いた。日本では人口が減って、年を重ねると外出も億劫になって立ち話も減ってきた。それに最近亡くなる方が多くて…、それで河内長野でも頑張りましょうねと言葉をかけて頂きました。 それから別の方から、この西代町の誰々さんがついこの間、亡くなられたという話を伺って、急いでそちらのお宅にお寄りしました。日頃は別の所にお住いのお子様と初めてお目にかかりました。抗がん剤が効いていた内は元気だったんですけれど…などとお話を伺いました。お話を伺いながら皆さんだったらどう言葉を返しますか。私は「ご本人は天国ですが、遺された皆さんがお辛いですね」と申し上げました。そうしたら、牧師さんがそう言って下さるなら安心です、と返してくださいました。親しい方を亡くされたとき、牧師の言葉に慰めを見出していただけるなら幸いなことと思いました。 また、先月キリスト信者ではない夫を亡くされた教会員の方が「四十九日までの間、お坊さんが丁度、毎週日曜日においでになるので、すみませんが礼拝に出席できません」と言ってこられました。私は、ご遺族への配慮になりますね、とお答えしましたが、併せて信仰をもって妻から送り出されていることがご主人にとって幸いなことだと思いました。 私たちは、キリストが陰府に降られたことを知っています。陰府の世界にも福音が届いていることを知っています。その信仰を以て未信者の方でも送り出すことが出来る。その幸いを思います。 旧約聖書から考えると陰府に対しては否定的です。死の国へ行けば、誰もあなたの名を唱えず、陰府に入れば、誰もあなたに感謝をささげません(詩編六・六)、陰府は感謝をささげる神のお姿が見えない世界です。命ある人間で、死を見ない者があるでしょうか。陰府の手から魂を救い出せるものが一人でもあるでしょうか(詩編八九・四九)。一人でも救い主がいて欲しいという願いが込められているようにも思えます。 そして今日の箇所、どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうともあなたはそこにもいまし、御手をもって私を導き、右の御手をもって私を捉えて下さる (詩編一三九・七~一〇)。神のいまさない所はないという信仰を語っています。それを陰府にまで広げています。こういう旧約の信仰を、使徒信条は前向きに捉えて、陰府に降りという言葉を語り得たと言えます。
主イエスご自身も、ペトロの信仰告白を受けて、私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない(マタイ一六・一八)と言われました。陰府の力も、ペトロのキリストを信じる信仰に対抗できない。使徒信条はこのキリストの宣言をやはり前向きに捉えたと言えるでありましょう。
先ほどの詩編一三九編は続けてこう語ります。私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す」。闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わる所がない。陰府の話に続いて闇と光の話になります。なるほど、陰府には光が差し込まない暗闇のイメージがあります。キリストが十字架で経験したことは、神に見捨てられる闇であったに違いない。聖金曜日のことです。そしてあの土曜日、闇もあなたに比べれば闇とは言えないと詩編が語る、いわば陰府以上の闇を経験されたキリストが闇の中に共におられる。その暗闇においてこの詩人は救いを何に見出しているかというと、闇の中でも主が私を見ておられるということです。それが光になっています。 そういえば幼子に接していて改めて気づくことがあります。幼子は親や家族や大人の人に顔を向けます。大人が後ろにいたら振り返ってこちらの顔を見ます。それは、ちゃんと僕のこと私のこと見てる?大切に思ってくれてる?の確認作業です。確認するようにして何度も覗き込んできます。そして安心します。それが幼子の救いなんだなと思います。そして言葉を発するようになると「見て見て」と呼び掛けてきます。 詩編のこの詩人も「闇の中でも主は私を見ておられる」ということを救いの光として語ります。
「主が見ておられる」。これはこちら側の良し悪しに関係なく主が目を注いで下さる。見張っているのではなく慈しんで見守って下さる。これは恵みです。ペトロ書のある説教集にこういう言葉がありました。「不信仰な人々が、悔い改めるいとまもなく、意志も持たず、陰府に降ったとしても、その人々を祝福の中にもう一度招き入れようとする、大きなキリストの恵みがここにあるのです。このキリストの恵の業について、ペトロの第一の手紙は信仰の幻を語っているのです」。私は改めて、私たちは恵みによって救われるということを申し上げたい。そして私たちは、信仰を通して恵みを受け止め、信仰によって生きるのです。よく万人救済節ではないか。最後は救われるなら信じなくてもいいという話か、と思われることも多いのですが、そうではありません。私たちは信仰によって生きることが出来る。そして信仰によって生きることの中に、未信者の人をも恵みの中に委ね、見出していく伝道や執り成しの営み、もう一度未信者を招き入れる幻を見る営みもある。幸いな営みであります。