日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2017年9月10日 説教:森田恭一郎牧師

「霊も魂も体も何一つ欠けた所なく」

申命記34章1~5節
テサロニケの信徒への手紙一5章23~24節
今、モーセの一生を歌った子ども讃美歌を歌い、そして申命記からモーセの亡くなる時の記事を読みました。教会学校では今年の夏期学校で、「神さまの約束、神の民の救い」という主題でモーセに現れた神様の約束を学びました。神様は約束しておられます。「私は必ずあなたと共にいる」。そして「私はあなた方の神になる、あなた方は私の民となる」と。そして旧約の時代は神様の民に約束の土地、その神様を礼拝できる場所を与えると約束して下さいました。
そのためにある時神様は「我が民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と、燃える柴の木の中からモーセを呼び出し、エジプト王ファラオの下に遣わしました。
またある時は、紅海の海を右と左に分けて、イスラエルの民をエジプトから脱出させました。神様にしか出来ないことです。
またある時は、神様がおられることを忘れないように「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と十戒を授けました。モーセがイスラエルの民に伝えます。
これらのことは全て「私はあなた方の神になる、あなた方は私の民となる」という約束を民の人たちが忘れないようにするためでした。

今日の旧約聖書申命記の一番終りの所ですが、モーセが亡くなる場面です。「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った」。
皆さん、山に登ったことありますか。山頂、山のてっぺんまで登り切ったら、皆さんはどこを見ますか? 登って来た道を振り返ったりしませんか。山の上から、自分のお家見えるかなとさっき出てきたお家の方を振返りませんか。
でもモーセは違う。「主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた」とあります。山のふもとから広がる平野やその山が高い山だったら遠く海も見えるかもしれない。モーセはこれまで荒野の40年の道のりを歩んできた。でも神様がモーセにお見せになったのは「よく頑張ったね」と今までやって来た後ろの方ではなく、広く前の方です。
このネボ山、ピスガの山頂に登ると、ヨルダン川のすぐ向こう側のふもとにエリコの町が見えて、ヨルダン川のこちら側の北はギレアドからその先のダンまで、ヨルダン川の向こう側の北はナフタリ、マナセ、エフライム、死海のこちら側の南は死海の南端のツォアル、そして死海の向こう側のネゲブ、そして地中海の海に至るユダの全土が見える。
これらの地域は、これからイスラエルの民が進み入っていく地域です。約束の土地です。神様はそちらの方をお見せになった。
そして言われました。「『これがあなたの子孫に与えると私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。私はあなたがそれを自分の目で見るようにした……。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない』。それで、主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」。

なんだ、見せてもらっただけでモーセは約束の地に入っていけないの?「これ、いいでしょう、でもあげない」と言われているみたいで、何だかがっかりしてしまいそうです。
でもモーセは、がっかりしなかった。満ち足りて地上の人生を終えて、安んじて天国に行ったと思います。何故か。約束の土地を見て、約束が本当になるぞ、と確信できたからです。約束はまだ実現していないけれど、約束が本当になるぞと確信できたら嬉しくなる。
何月何日遠足の日、何日も前から楽しみです。そしてその日、目が覚めたら、お天気も良くてお母さんが一生懸命お弁当作っている。それをみたら、実際にはまだ遠足に行っていないのに、今日は本当に遠足に行けると、とても嬉しくなる、そういうことってありますよね。
モーセは、山のてっぺんから行く先の風景を見て、土地を与えるという約束が本当になるぞ、と確信できました。自分がこれまで約束を信じてやってきたことが、無駄になることなく、神様がこれからもしっかりと続けてやって下さる。約束の土地に入って、以前のようにエジプトの王様に邪魔されるというようなことはなく、神様を礼拝することが出来るようになる。神様を礼拝する民がこれからも起こされていく。「私はあなた方の神になる、あなた方は私の民となる」、このことが次の時代に向かって実現していく。そう思うとモーセは嬉しかった。安心でした。希望に溢れた。
今日、大人の私たちは、生徒たち子どもたちと一緒に礼拝出来てとっても嬉しい。次の時代に向かって、前に向かって神様の民として君たちは歩んでいく。そう思うと安心です。

あなたたちも私たちも神様の約束を戴いています。「私はあなた方の神になる、あなた方は私の民となる」。そして皆さんが神様の民となった時、皆さんはどのような皆さんになるのでしょうか。今日の新約聖書はこう語っています。
「どうか、平和の神御自身が、あなた方を全く聖なる者として下さいますように。また、あなた方の霊も魂も体も何一つ欠けた所のないものとして守り、私たちの主イエス・キリストの来られるとき、非の打ち所のないものとして下さいますように。あなた方をお招きになった方は、真実で、必ずその通りにして下さいます」。
ちゃんとしたまことの神様が私たちの神様になって下さる。神様は真実で、必ずその通りにして下さいますというのですから、安心ですよ。あなた方の霊も魂も体も何一つ欠けた所のないものとなる。 「体」は分かりますね。地上で生きている間はこの肉体の身体、天国では甦りの身体です。 「魂」、これは心と言っていいでしょう。そして「霊」。霊というのは幽霊の霊ではありません。神様のお言葉を受け取ることが出来る所です。ラジオで言えばアンテナ。私たちのアンテナは信仰と言ってもいい。神様のみ言葉を受けとめ主イエスと出会うことの出来る所です。
そして、私たちの霊も魂も体も何一つ欠けた所のないものとなって、神様の言葉を聴き取り、心から神様を礼拝する一人ひとりになる、私たちはそういう民になる。何故それを確信できるのかというと、私たちの罪を負って、私たちと同じ罪人となって下さった主イエス・キリストが、甦ってこられて、霊も魂も体も何一つ欠けた所のないものとして、弟子たちの前に現れて下さったからです。その主イエスと出会って、パウロも、霊も魂も体も何一つ欠けた所のないものとなると約束を確信できました。
そのイエス様のお話を伺うことが出来る場所が、地上の私たちにとってはこの教会です。