日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2020年9月20日 説教:森田恭一郎牧師

「神様の愛の名刺」

イザヤ四五・一四~一五
ヨハネ 一・一四~一八

教会学校教案誌は今、使徒信条を主題にして、今日は「我は、その独り子、我らの主イエス・キリストを信ず」を学びます。使徒信条の告白する通り、私たちは主イエス・キリストを信じます。漠然とただ神を信じるのではなく、主イエス・キリストを信じて告白します。何故でしょうか。

 

それは、主イエスを見れば、神様はこういうお方だ、と分かるからです。説教題を「神様の愛の名刺」としました。名刺は、自己紹介する時に用います。名刺には、名前や住所や勤め先などが書いてあって、この人はこういう人ですよ、と示してくれます。それと同じように、神様が名刺を用いて自己紹介なさると、その名刺がこの神様はこういうお方ですよと示してくれます。と言っても、神様が用いる名刺は紙切れの名刺ではありません。生きた名刺です。それが主イエスです。このお方を見ると、神様がおられると分かり、こういう神様であると示してくれます。それで、ただ神を信じるのではなく、主イエス・キリストを信じます。

 

さて、今日の教案誌カリキュラムの聖書の中心聖句は一八節です。まず、いまだかつて、神を見た者はいない。ヨハネ福音書が言うように、私たちは誰であれ、天におられる神様を見た人はいません。私たちには、そもそも神様が本当におられるか、またどのような神様なのか、誰にも分かりません。世の中にはこんな神様がいて下さったらいいのにな、と人間の側の願いを形にした偶像は幾らでもありますが、本当の神様は、神様の側から自己紹介して戴いて初めて分かる訳です。その時の生きた名刺が、主イエス・キリストです。

 

続く聖句には、主イエス・キリストが神様を私たちに示すことが出来る理由が書いてあります。主イエス・キリストが、父の懐にいる独り子である神であられ、父なる神様と一緒で、だから独り子として父を知っておられます。

懐にいるという言い方が興味深い。懐。国語辞典には、着た着物の胸にあたる部分の内側、とありました。元は和服を思い浮かべての言葉ですが、洋服でも胸の所に内ポケットがあり、大事なものを入れます。大事な心臓も胸の所にあります。心は? 一般的に言って心も胸にありますね。それで、辞典には、胸、心の中という意味もあります。主イエスは、天の神様の一番中心、懐のど真ん中におられました。父なる神様と一体です。主イエスも独り子なる神様ご自身だということです。

 

そしてこの方が神を示されたのである。クリスマスには幼子イエス様となってこの世にお出でになりました。そして会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、病気や患いをお癒しになりました(マタイ九・三五参照)。最期には十字架にかかられ死んでしまわれたと思いきや、三日目に甦られました。そうやって、私たちが見たことのない天の神様を主イエス・キリストはお示しになりました。

 

ここまでが、見えない神様をキリストがお示しなったという話ですが、ここからは反対に、神様はご自身をキリストに隠されたという話です。

皆さん、もし神様が、主イエスを通さずに、神様のお姿のまま、私たちの所においでになったら、どうなるでしょう。それは丁度、私たちが太陽を見続けられないように、光り輝く聖なる神様を、罪人の私たちは直接見ることが出来ません。

それで父なる神様は、御自分のお姿を御子キリストの内にお隠しになられました。先ほどの懐の表現で言いますと、父なる神様が主イエス・キリストの懐に入られたようなものです。

旧約聖書にこうあります。彼らはあなたにひれ伏し、あなたに願って言う。「神は確かにあなたの内にいます。他(ほか)にはおられない。他(た)の神々は空しい」(イザヤ四五・一四)。主なる神様はイスラエルの民の内にいます。神様の方がイスラエルの民の懐に入って来られた。でも懐の内にご自身をお隠しになります。「まことにあなたは御自分を隠される神」(同四五・一五)。だから信じる信仰が必要です。ご自身を民の懐に隠されて、「イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」と(同)。救いを与えることによって、見えない神様がおられることをお示しになります。救いを与えて、見えない神が、共にいまし、内にいます、自分にとっての神様になります。

 

神様が懐に入って来られるのは、教会の私たちにとっては、主イエス・キリストが来られるということですが、主イエスは天に挙げられ天におられますので、主イエスの霊、聖霊なる神様が私たちの懐に入って来られます。この聖霊のお蔭で、主イエス・キリストの出来事が、自分=今の私たちのためのものになります。十字架がこの自分の罪を代わりに負って下さる出来事になり、キリストの甦りが自分の将来の甦り希望になります。キリストが共におられる自分の出来事になります。そうやって神様の愛が自分に伝わって「我らの」主イエス・キリストと告白出します。

聖霊なる神様が自分たちの懐に入って来られたことに気が付いて受けとめたら、今度は、私たちの方が神様の懐に入れて戴くといいですね。「懐」の字はヨハネ福音書では、主イエスの愛しておられた者が主イエスの「すぐ隣に」(一三・二三)という言い方で出てきます。教会に集うということは、私たちが大胆にもキリストのすぐ隣に、いや、キリストの懐に入れて戴くということです。

 

祈り

父なる神様。あなたは、御子イエス・キリストを、私たちのために、生きた愛の名刺としてお示し下さいました。ヨハネの手紙に、神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に示されました(Ⅰヨハネ四・九)とある通りです。今日はまだ、ご家庭で主日礼拝をささげておられる方々も多いですが、また一同、見える形でここに集い、また子どもご家族もお友だちも、主イエスの懐の内へと包まれることを新たに体験させて下さい。

感染に罹患した地域の方たちをも包み入れて下さると信じます。感染症が少しでも収まりますように。感染者が回復していきますように。