日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年1月1日 説教:森田恭一郎牧師

「新地を耕せ」

ホセア10・12
Ⅱコリント9・8―10
皆様と共に元旦の礼拝を以て一年の営みを始めることが出来ます事を嬉しく思います。
預言者ホセアは一〇章一二節で「恵みの業をもたらす種を蒔け。愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ」と言いました。元旦にあたり、私たちも教会も「新しい土地を耕せ」この言葉を心に刻みたいと思います。
教会員の方が、折に触れて大根など作物を届けて下さいます。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし成長させて下さるのは神である、とパウロは語りましたけれども、収穫するには、土地を耕し、種を蒔き、苗を植え、水も肥料もやって、愛情込めてこそ、愛の実りを刈り入れる訳です。それを届けて戴くのですから有難いことです。

新しい年二〇一九年を迎えました。今年はどのような年になるでしょうか。いや、どのような年にしていくのでしょうか。歴史は自然になるものではありません。歴史に対して、成るように任せるのは無責任です。歴史は自覚して形成していくものだからです。そして、歴史を作っていく、また人生を形作っていく。そのために必要なことは何か。夢・幻を持つことです。
「新しい土地を耕せ」、これが、ホセアが象徴的に表現した夢・幻です。夢と言っても儚い夢というのではない。幻と言っても単なる幻想に過ぎないイリュージョンではない。ヴィジョンです。このヴィジョンを象徴する言葉として、「新しい土地を耕せ」とホセアは語りました。夢・幻を抱き、そして、それを願いの言葉にしていくことから、歴史は動き始めます。それが無かったら流されるだけです。

ホセア書の見ていた時代状況はこうでした。続く一三節の言葉で言うと「ところがお前たちは悪を耕し、不正を刈り入れ、欺きの実を食べた。自分の力と勇士の数を頼りにしたのだ」。不正がはびこり、経済力と軍事力を誇る政治状況にあって、それがまかり通るというか、当たり前になっていた。政治家がおかしいことを言ったり行ったりして、人々がそれはおかしいと最初は思っていても、それが繰り返されているといつの間にか慣れてしまい、最初にあったはずの正常な感覚が麻痺して無感覚になり、悪い方向へ現状維持になっていく。
それでそのような中でホセアは「恵みの業をもたらす種を蒔け。愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ」と夢・幻を語ります。

夢・幻です。せっかくの元旦なのですから、少々大げさなものでもいいのではないですか。十の夢・幻の内一つでも実現したら、何も無いより前進、それでも大したものです。皆さんは、どんな夢・幻を持ちますか。また、教会もどのような新しい土地を耕しましょうか?
教会に隣接してお住いの方々が、向こう三軒両隣、いやもう少し多く十軒位のお家があります。教会に近い所にお住まいの皆さんが、教会に集うようになって下さったらいいな、と例えば思います…。十軒、これでは夢としてはちっぽけですね。
隣に幼稚園があります。関係の保育園もあります。卒園したら続けて毎週日曜日、親御さんと一緒に教会に来て下さるようになる。そして毎年、この夢が積み重なっていく。もしそうなったらどうなりますか。きっと、この地域全体が更に、恵みの業をもたらす種を蒔き、愛の実りを刈り入れることを喜びとする人が溢れてきますよ。
そのような中から、牧師に成るように召命を戴く人も出てきて、河内長野教会の私の次の次の…牧師になるかもしれません。夢は色々広がりますね…。皆さんも様々にあるのではないでしょうか。

もっとも、このような調子の良いことばかり言っていると、ふと思うかもしれない。そんなの無理だ。どうせ失敗する。そこにはきっと何か合理的な現実的な判断があるに違いない……。でも急いで結論を出さずに考えてみましょう。会堂横の桜の樹、去年の元旦礼拝の時に、冬のさ中に、もう芽吹き始めていることに私たちは気が付きました。実は去年、大変でした。台風が来て、大きな枝々が折れてしまいました。でも今年、にもかかわらず、芽吹き始めています。めげてはいません。

ホセアは語ります。新しい土地を耕せ、主を求める時が来た。新しい土地を耕す時が来てるんです。時を逃さないように…。耕し始めると、収穫できますようにと収穫の主に願い求めるようになりますよね。主ご自身を求めるようになります。作物の成長の前に、私たち自身が信仰者として成長し始めます。
そして聖書の言葉がそういう私たちを執り成して祈って下さっている。ついに主が訪れて、恵みの雨を注いで下さるようにと。あるいは口語訳聖書は約束の言葉として訳しています。主は来て、救いを雨のように、あなた方に降り注がれる。
コリント書でパウロも、神は、あなた方がいつも全ての点で全てのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなた方に満ち溢れさせることがお出来になります。「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてある通りです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなた方に種を与えて、それを増やし、あなた方の慈しみが結ぶ実を成長させて下さいます。種を蒔く人に神様は更なる種を与えて下さる訳です。そこに出かけて行って、耕し、種を蒔き始める。そうし始めたら神様が更に種を与え、導いて下さいます。聖書はそう約束しています。

どれだけ実現可能か、それは後から考えればいいことです。まず、夢・幻を持つ。そこから、そのことを言葉に表現する言葉にすれば、祈り始めることが出来きます。そしてそこから、課題が具体的に見えてきます。そこから良い方法は見出せるに違いない。合理的に考えるのはその段階になってからは必要ですね。。
思えば河内長野教会自身が、ヘール宣教師が新しい土地を耕して下さったからこそ始まった教会です。清教学園も、教会の清教塾の子供たちが、夢・幻、それを言葉にして願いを持ったところから始まった学校です。『青春輪舞』によりますと、彼らが募金を人々に呼びかけた第一声は次のようなものでした。「みなさん、僕らの願いを聞いて下さい」。そのセンス、感覚をもたらすDNAを与えられている教会です。
種を蒔く人に種を与えると聖書が約束している。新しい土地を耕せと神様が望んでおられる。実現可能の根拠は、神様のこの御心にあります。成長させて下さるのは神様です。それに対して私たちが、そうですよね、と応えるセンスを持ち、その夢・幻を抱き、それを言葉にした願いを持つことを失いたくありません。
神様が、私たちや河内長野教会に対するご自身のヴィジョンをご計画としてお持ちであると信じます。その御心に私たちの心が麻痺したり無感覚になったりしませんように。そのような私たちであらせて下さい。今年二〇一九年、恵みの業をもたらす種を蒔き、愛の実りを刈り入れるように、新しい土地を耕す祈りと志と、そこに仕える勇気を与えて下さい。そのような祝福の年となりますように。