日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2021年3月21日 説教:森田恭一郎牧師

「弟子たちは皆」

詩編七三・二三
マルコ一四・四三~五二

今日のお話の題は「弟子たちは皆」です。弟子たちは皆、どうしたのでしょう。何をしたのでしょう。弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった(マルコ一四・五〇)のでした。今日は「逃げる」ことについて考えてみたいと思います。

皆さん、「逃げる」のは良い事、悪い事、どちらでしょう。弟子たちは主イエスのお弟子さんなのに、主イエスが捕まるのを見ると、皆、主イエスを見捨てて逃げてしまったのでした。主イエスから離れて行ってしまいました。弟子としては良いことではないですよね。

他にも逃げてはいけない事、色々ありますね。例えば、勉強することから逃げてはなりません。スポーツだって表彰台に上がるには、辛くても練習から逃げてはいけません。目をそらして課題から逃げたら、課題をやり切って造り上げて行く充足感のある人生にしていくことは出来ないですね。

 

逆に、逃げていいこともあります。誰でも鬼ごっこしたことありますね。鬼ごっこのときには、逃げないといけません。鬼は「逃げるな」と言って、捕まえよう、捕まえようと追いかけてきます。捕まらないように逃げなければなりません。それから、「てんでんこ」って聞いたことありますか? てんでんバラバラに逃げるという意味です。地震が起こって津波が襲ってくるとなったら、てんでんこです。とにかく山の方へ逃げる。

今日の聖書では、ある青年が登場します。一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。この青年は、時間は夜でしたから、亜麻布の寝巻に着替えて床に就こうとしていたら、主イエスと弟子たちが出かけて行ったのでついてきたのではないか、と言われたりもします。主イエスの仲間だと思われて、捕まりそうになった。そこでまとって着ていた亜麻布を人々に掴まれて脱げちゃったまま、逃げたのでした。逃げなかったら捕まってしまいます。服を捨てて逃げました。

そう考えると、弟子たちが逃げたのは捕まらないようにするためには良かったのかもしれません。但し、弟子たちは皆、そのように逃げたのですが、主イエスを見捨ててしまった訳です。

 

主イエスはどうだったかと言いますと、まず弟子の一人のユダがこう言いました。「私が接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」。それで、ユダがイエスさまに接吻すると、人々はイエスに手をかけて捕らえたのでした。主イエスは何も悪いことはしていないのに捕まってしまいました。弟子たちやあの青年のように逃げれば良かったのに。

主イエスは逃げませんでした。周りの人たちは剣や棒を持って逃がさないようにやってきましたから逃げきれないと考えられたのでしょうか。

そうではありません。そこには深いお考えがありました。逃げずに捕らえられて、十字架にかかって、弟子なのに逃げ去ってしまった弟子たち、それから同じく弟子なのに捕まえる合図をして裏切ったユダ、ユダだけではありません。一番弟子なのにこの後、三度も主イエスのことを知らないと言って裏切ったペトロ。そして私たちも。全ての人たちの罪を十字架で担う、という深いお考えを以て、主イエスは逃げなかったのでした。

 

もし、あの晩弟子たちが主イエスを見捨てて逃げなかったら、ユダがあの時、接吻の合図の役を担わなかったら、ペトロも最後まで主イエスに従ったらどうなっただろう? 立派なお弟子さんたち、ということになります。しかしそれでは、きっと傲慢なお弟子さんになったでしょうね。でも逃げて裏切って、駄目な自分だと思ったからこそ、主イエスに赦して戴く恵みの深さを味わうことが出来たに違いありません。

逃げるという言葉をもう一ヶ所紹介します。それは、主イエスが復活なさったと知らされた婦人たちが、墓を出て逃げ去った(マルコ一六・八)箇所です。死んだはずの主イエスが甦られたと聞いて、震えあがって恐ろしくなったから逃げたのです。でもただ逃げたのではありませんでした。主が出会って下さるとのお告げを携えて逃げて行きます。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われていた通り、そこでお目にかかれる』と」。復活の主が出会って下さる。主イエスは十字架で罪を赦して、その恵みを以て、弟子たちやペトロに出会って下さり、そんな弟子たちを見捨てないで共にいて下さる。弟子たちは皆、その恵みを戴いて主イエスの弟子です。自分の力で弟子になるのではありません。もし自分の力で生きていけると思うなら、傲慢になって弟子も、そして私たちも、いずれ主イエスから離れて行きます。今日の詩編はこう語ります。あなたが私の右の手を取って下さるので、常に私は御もとに留まることが出来る(詩編七三・二三)。