日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2020年12月27日 説教:森田恭一郎牧師

「天には栄光、地には平和」

イザヤ四九・一三
ルカ 二・一~二〇

神様の御子が天から降りて来られて地上に誕生された、御子のご降誕をお祝いするクリスマス、おめでとうございます。

もしかすると、人は自分自身の中に、自分の人生の中に空洞があるのかもしれません。これは他者によってしか満たすことが出来ないような空洞です。他者が共にいてくれる、他者との開かれた関わりの中でこそ満たされる空洞です。そしてまた、神様との関わりの中でしか満たされない空洞もあります。併せてこれら空洞は、他者の物語に、神様の物語に参加することによって満たされる空洞なのかもしれません。

クリスマスの晩、ヨセフとマリア、それに羊飼いたちは、自分の人生の営み=自分の人生の物語と言っても良いでしょう、自分の中にある空洞に、神様の物語、救済の物語を思いがけず迎え入れることになりました。併せて彼らは、自分の人生の物語が、神様の物語、救済の物語に参加することによって自分の空洞が満たされたのでした。そのように彼らは神様からのお招きを受け、そしてそれを拒みませんでした。

 

ヨセフとマリア、出産の時を間近にして、ベツレヘムへ何日もの旅をすることになりました。皇帝の勅令が出て、故郷の町で住民登録をしなければならなくなったからです。月が満ちて出産の時を迎えることになったのは、旅の途中ではなく幸いなことにベツレヘムにいる内でした。

でもベツレヘムの宿屋は部屋が一杯で、この二人には泊まる所がありません。結局、辿り着いたのは馬小屋。これがかろうじて彼らの「居場所」となりました。お産に備えて用意出来たのは、ベッドの代わりにそこにあった飼い葉桶、干し草を敷き詰めて、布団の代わりに家から持って来た布一枚。これで何とか寒さも防げるでしょうか。お手伝いしてくれる人はいません。「おめでとう」とお祝いしてくれる人もいません…。そして、その晩、男の子が生まれました。この乳飲み子を布にくるんで飼い葉桶に寝かせます。

二人は思いました。天使から、男の子を授かりますよ、とお告げを受けていた赤ちゃん、心待ちにして、いや、心して迎えようと思っていたのに、こんな時こんな所でのお産になってしまうなんて何てことだ! こんなはずじゃなかったのに。そう思うと辛く悲しくも感じました。それに、これがこの乳飲み子の人生の始まりだと思うと、これもまた、とても切なく、理不尽、不条理に思えました。

そしてこの晩の出来事が、ヨセフとマリア、またきっと乳飲み子にとっても、空洞をもたらす彼らの体験に刻まれた人生の物語となりました。

 

もう一つの人生の物語がありました。羊飼いたちの物語です。彼らは、その頃その地方で夜通し羊の群れの番をしていました。ベツレヘムの町の賑わいは自分たちには関係のない世界です。当時は社会の常識であった安息日の礼拝にも参加できないという事で、人々から軽蔑されることもあったようです。彼らの「居場所」もこの野原。この晩も野原で焚火をして暖を取っておりました。これもまた彼らの物語でした。

そこに、この晩、天使が主の栄光の中に現れ、羊飼いたちに語り伝えました。「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである」。天の大軍も加わり、「いと高き所には栄光、神に在れ。地には平和、御心に適う人に在れ」。天は光に溢れ、天使たちの賛美の歌声が響き渡っていました。それが天上の世界から溢れ出てこの野原にこぼれ落ちて来た。天よ、喜び歌え、地よ、喜び踊れ(イザヤ四九・一三)の預言の言葉通りの、夢のような体験に一瞬包まれました。この夜、神様の救いの大きな喜びの物語が始まっていました。

そして「あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである」。あなた方は乳飲み子を見つける。この救いの物語にあなた方も参加しなさいと招いています。

 

天使たちが離れて天に帰った後、羊飼いたちは迷うことなく声を掛け合いました。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか」。神様の救いの物語に参加することにしました。ベツレヘムまで行き、そして探し回りました。こっちの宿屋、あっちの宿屋、どこにもいません。「あっ、飼い葉桶か、どこかの家畜小屋だ」と気付いて、やっとマリアとヨセフ、そして乳飲み子のいるこの家畜小屋を探し当てました。見ると本当に、言われた通り、布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子がいるではありませんか。今、目の当たりにしていることは天使が告げた通りだった。羊飼いたちは、自分たちの人生が、神様の救いの出来事に本当に招かれていたことを知って喜びました。そして神を崇め賛美しながら野原へと帰って行きました。

帰った先は、また元の日常生活です。でも、彼らの人生の物語は、この晩から、神様に招かれた人生、救いの物語を証言する神様の物語の一部になりました。そのように神様との関わりの中に「居場所」を見出して、日常生活を歩み出しました。

 

さて、マリアは、羊飼いたちから天使のお告げと壮大な賛美の様子の一部始終を聴きました。そして、これらの出来事を全て心に納めて、思い巡らしていました。だって「私の赤ちゃんを、布にくるめて飼い葉桶に寝かせることになるなんて何てこと」と思っていたのに、この布と飼い葉桶が、救いが始まったことを羊飼いたちに示すしるしとなった。こんな私たちの人生に、神様のなさる救いの御業が隠れていたのだ! ヨセフとマリアも、神様の前に自分の人生の意味と「居場所」を見出しました。

 

 

 

 

 

祈り

天よ、喜び歌え、地よ、喜び踊れ。山々よ、歓声を挙げよ。主はご自分の民を慰め、その貧しい人々を憐れんで下さった。イザヤが預言したその言葉の通りになりました。神様、私たちのことも慰め、憐れんで下さい。

今年は、世界中が思いがけない状況になりました。新しい日常生活、などと言われますが、この日常生活を歩む私たちも、神様の天の物語に気付かせて下さい。私たちも、神様の物語の営みに参加するようにと招かれていると信じます。また私たちみんなの健康が心身ともに守られますように祈ります。主イエス・キリストの御名によって。