日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2020年6月21日 説教:森田恭一郎牧師

「全ての人を神が清められた」

詩編   六六・一九~二〇
使徒言行録一〇・三〇~三五

教会学校の皆さん、一緒に教会の礼拝で会うことが出来てとても嬉しく思います。今日はご家族の皆さんも含め、よくお越し下さいました。

さて今日は、神様は私たちを分け隔てなさらない、神様は皆さんを大切にしておられるというお話です。

 

ある日のこと、コルネリウスという名前の、多分イタリアの人ですが、カイサリアの町でお祈りしていました。そうしたら不思議な幻を見ました。天使が現れて、人をお使いに出して、今ヤッファの町にいるペトロを招きなさい、と言うではありませんか。それでコルネリウスは人を送って、ペトロをお迎えに行かせました(一〇・一~八)。

丁度その頃、ペトロもお祈りしていました。ペトロもとっても不思議な幻を見ました。天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅で吊されて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた(布を吊るすようにしながら、牛、鶏、豚を見せて)、そうしたら声が聞こえてきました。「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声です。この中にはどうやら、その頃の掟で、食べても良い聖なる清いものと食べてはいけない汚れたものが一緒くたに入っていました。牛は良い、羊やヤギも良い。鶏も良い、烏、鷲、鷹は駄目です。豚や猪は駄目。清いものと汚れたものを分ける掟の意味は、聖なる神様の清さを意識することにあるのですが、人間は、何故か、汚れたものの方に想いが行ってしまう。それでペトロは言いました。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と語気を強めて言います。

すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」。神様は清めることに想いを向けておられますね。こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。不思議な幻です(九~一六節)。

ペトロがこの幻は何だろうとあれやこれや思っていたら、丁度その時に声がしました。今度は人間の声です。コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、今度は聖霊が語りかけてきました。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ」。という訳で、ペトロは翌日、三人の人に連れられて、ヤッファからカイサリアに出かけました。およそ六十キロ位はあります。その更に翌日、ペトロはカイサリアに到着して、コルネリウスと会いました(一七~二九節)。

それでコルネリウスは、四日前に幻を見て、ペトロを招きなさいと言われたので、それであなたをお迎えしたのですと説明をして「よくおいで下さいました。今私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」(一〇・三三)。とペトロを歓迎しました。これを聞いてペトロは「あぁ、そういうことか」と分かったのです。何が分かったのでしょう。

 

今日はここにこういう物を持ってきました。この三つの枠の中に、清い牛と清い鶏と汚れた豚を入れるとこうなります。が、昔の掟では「この枠の中に汚れた豚は入って来ないで」と追い出してしまうでしょう。代わりにこの三つの枠の中にこれを入れてみます。これは? これは? これは? みんな同じようで区別がつきません。同じようですが違います。これは甘夏、これはサンフルーツ、夏みかん。これはグレープフルーツ。違うのですが食べるとみんなおいしいです。甘夏とか、夏みかんとか、グレープフルーツとか、違うのですが、これらをまとめて何と言うか知っていますか? 柑橘類と言います。種類としては皆同じグループになります。

それで、先程から見ているこの三つの輪っかがあるこれ、実は名前があります。シトラスリボンと言います。シトラスというのは柑橘類という意味の言葉です。それで緑色だったり熟してからのオレンジ色だったりすることが多いようです。これは画用紙で作りましたが、リボンで作ると可愛らしいのが出来ます。このリボンの三つの枠には意味が込められていて、家庭、地域、職場や学校です。コロナにかかってもみんな同じ人間ですよ。家庭でも、地域でも、職場や学校でも、みんな仲良く優しく皆で皆を応援しようというリボンです。

 

さて使徒言行録の話に戻ります。ユダヤ人のペトロとイタリア人のコルネリウス。夫々、お祈りしていたら、お一人の神様、イエス様がお祈りを聞いていてくれました。神をたたえよ。神は私の祈りを退けることなく、慈しみを拒まれませんでした(詩編六六・二〇)。そして、聖霊がコルネリウスとペトロを出会わせてくれました。

あの頃、ユダヤ人は、自分たちと異邦人=外国人を大袈裟に区別し、外国人を見下していました。自分たちが汚れた豚を食べないように、自分たちは汚れた人たちとは友だちにはならない。異邦人は神様に救ってもらえない人たちだってね。

 

でもペトロは、あの幻を見て、そしてコルネリウスと出会って、分かったんです! そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです(一〇・三四~三五)。ユダヤ人も異邦人も、黒人も白人も、黄色人種の私たちも、先程の柑橘類みたいなもので、神さまからご覧になれば同じようなものです。私たちは、神様が独り子=イエス・キリストをお与えになった程に愛して下さった、十字架で私たちを清めて下さった、同じ人間です。このことがペトロにもコルネリウスにも、そしてみんなに分かりました。