日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年10月20日 説教:森田恭一郎牧師

「ソロモンの知恵」

列王記上三・一〇―一四
ヨハネ  一〇・一―五

今日は、教会学校のカリキュラムに従って、ソロモン王のお話です。イスラエルの最初の王様はサウル王、その次はダビデ王、そしてその次がソロモン王です。

ソロモンが王様になった時、この国をどのように治めていったらいいだろうと考えました。丁度そのような時に、神様が夢に現れてこう問いかけました。その夜、ギブオンでソロモンの夢枕に立ち「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた(列王記上三・五)。皆さんが神様から「何でも欲しいもの一つ言ってごらん。あなたに与えよう」と言われたら、何を願いますか。心の中で、あれかな、これかなと考えてみましょう。学校の生徒だったら成績が良くなりますようにと願うかもしれません。

ソロモン王が何を求めたかと言いますと「我が神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、私は取るに足らない若者で、どのように振る舞うべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることも出来ない程です。どうか、あなたの民を、正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように、この僕に聞き分ける心をお与え下さい」(七~九節)。ソロモン王は「聞き分ける心をお与え下さい」と神様にお願いしました。それを聞いた神様、主はソロモン王のこの願いをお喜びになった。神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える」(一〇~一二節)と応えて下さいました。

昔は、人は長寿=長生きさせて下さいと求めたものです。また今でもお金が欲しいと富を求めます。王様なら、兵隊を強くして下さい、敵に勝てる強い軍事力を与えて下さい、そう願うこともあるでしょう。でもソロモン王はこういったものを求めず、国の人々の色々な訴えを正しく聞き分ける知恵を求めました。それを神様はお喜びになりました。

知恵…。これに似た言葉に知識という言葉があります。知識と知恵の違いは? 学校で教科書に書いてあることを暗記して覚える。テストで良い点を取る。これは大概、知識です。ソロモン王は知恵を、訴えを正しく聞き分ける心を求めました。知識は学校で学び、知恵は教会で学ぶと言うことも出来るでしょう。

知恵。聞き分ける心です。教会で学ぶ聞き分ける心の知恵とは、何を聞き分けるのでしょうか。それは愛を聞き分けます。愛を求めることです。

 

ソロモン王にはこの後、こういうことがありました。二人の女の人、自分がお母さんだと言う人がやって来まして、二人のお母さんなのに一人の赤ちゃんです。二人とも「この赤ちゃんは私の赤ちゃんです。この私がこの子の本当の母親です」と訴えてきました。そこでソロモン王は、知恵を働かせました。どちらの女の人がこの赤ちゃんを本当に愛しているかなと考えました。それでソロモン王は、部下の兵隊さんに「剣を持ってくるように」と命じて、二人がそう言うなら、分かった。半分こにして二人に分けてあげよう。そして兵隊さんに命令しました。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ」(二五節)。そう王様が言うではないですか。皆さんが母親だったらどうしますか…。半分こ、でいいという人はいなさそうですね。

片方の女の人は「王様のご命令なら仕方ないか。良いとは思わないけど…」と思いました。もう一人のお母さんは「えっ、半分こ? とんでもない。この子を生かしたまま、生かしたまま、殺さないでください。この子、相手の人にあげてもいいから、殺すことだけはしないで下さい!」と言いました。

どちらが本当のお母さんでしょうか? もう答えは分かりますね。「殺さないで!」と言った人が本当のお母さん。ソロモン王は、愛を求める知恵をこの場面で働かせました。どちらのお母さんが愛を以てこの赤ちゃんのことを思っているか、それを聞き分けようとしました。愛を聞き分ける知恵をソロモン王は神様から戴きました。

 

ところで、沢山の子どもがいて、その中で自分の子が泣いていると、母親は「アッ、私の○○ちゃんが泣いている」って聞き分けられるんですよ。赤ちゃんも母親の愛を求めている。泣く声でなくても、自分の愛する子の話声は聞き分けられる。愛している子どもの声は分かります。

羊の話をします。主イエスが話して下さいました。「羊飼いは羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊を全て連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く」(ヨハネ一〇・三~)。羊は羊飼いの声を聞き分けることが出来るのですね。

ある人がイスラエルでこういう経験をしたそうです。井戸端、水を飲める所にいましたら、こっちとあっちから、夫々、羊の群れがやって来て、こっちからの羊の群れとあっちからの羊の群れが一緒になって、どの羊がどっちから来た羊だかもう分からなくなってしまいました。そう思いながら見ていました。羊たちがみんなお水を飲んでホッと一息ついて、出かける時になりました。どちらの羊飼いも「さぁ、羊たち、行くぞ」と声をかける。すると、あら不思議。一緒くたになっていた羊たちが、その声をそれぞれ聞いて、自分の羊飼いの所にちゃんと分かれて付いて行くではありませんか。羊は羊飼いの声を聞き分けます。

 

羊は狼が来ると大変。狼の声と羊飼いの声は聞き分けますね。羊飼いは沢山の羊の世話をするのに一人では大変だから、雇い人を雇って仕事をしますが、羊たちは、羊飼いと雇い人の声を聞いたら、羊飼いの方について行きます。

「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇人は、オオカミが来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである」(一〇・一二~一三)と主イエスは語っておられます。雇い人は日頃世話しているようでありながら、いざという時は心をかけていないので狼が来るとさっさと逃げてしまいます。けれども本当の羊飼いは、狼が来ても、羊を守るために狼と戦う。命をかけて羊を守る。そうやって羊たちの事を心にかけているからです。主イエスはこう仰いました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(一〇・一一)。

 

昨日、インドネシア・フェスティバルがあって、教会の聖歌隊の人たちが奉仕してきました。そうしたらインドネシアの方が、これをプレゼントしてくれました(首にかけて)。オレンジ色の綺麗な布の製品です。これ自体は、ただの布です。でも、インドネシアの人たちがプレゼントして下さったということはどういうことでしょう。「今日は、ようこそいらっしゃいました」と歓迎して下さったということです。インドネシアの方たちが私たちを思って下さった。愛そのものは見えません。でも、このプレゼントは見えます。インドネシアの皆さんの私たちに対する愛の印です。

それでは、神様が私たちを愛していますよ、という神様の愛の印は何でしょう? それはイエス様です。主イエスが天におられたのに、クリスマスの時にわざわざ地上に降りてこられて、十字架にかかって罪を代わりに負って下さった。その主イエスは、丁度、このインドネシアの方たちの愛の印のようなものです。このイエス様を見てごらん。神様が君たちを愛しているということが分かりますよ、と聖書は言っている訳です。

 

さぁ皆さん、神様の御声を聞き分けたいと思います。羊は羊飼いの声を聞き分けることが出来ます。二人の羊飼いの声が聞こえて来ても、日頃から自分を大切に心にかけてくれる羊飼いの声を聞き分けます。それは日頃から聞いているからです。

それと同じように、世の中にはいろんな声が聞こえてきますが…。どれが本当の声なのか、聞き分けられますか。どの声が、本当に私を愛して下さっている方の声なのか、聞き分けねばなりません。それは、聞き分けられるように、日頃からいつも主イエスのお話を繰り返し聞くことです。主イエスが神様の愛の印なのですから。いや、神様の愛そのものですから。だから主イエスのお話を繰り返し、何度も何度も聞きます。そうすると、そうでない偽者の愛の話、その声を聞くと、これは本当に私を愛している人の話かな、違うなと気が付くようになります。ちゃんと聞き分けられるようになります。それが知恵です。教会に毎週集い、聖書のお話を聞いていると、イエス・キリストの神様が本当に私たちの事を愛して心にかけておられるのだなと、分かってくるようになります。羊はその声を知っているので、付いて行く。