日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年7月24日 説教:森田恭一郎牧師

「その日には、平和の内に」

詩編一二一・一~二
ヨハネ一六・三三

平和を巡る聖書の言葉を味わっています。七月初めの説教でも触れましたが、主イエスはこうお語りになりました。「私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。怯えるな」(ヨハネ一四・二七)。そして今日の箇所で続けて、「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平和を得るためである。あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」(ヨハネ一六・三三)。

主イエスは、あなた方は世で苦難があることをお認めです。だからキリスト教は、信じたら苦難が無くなると宣伝したり、苦難からの救いを説く宗教ではありません。敢えて言えば、罪からの救いと神の愛を説く。

今日の主題は、その苦難の中にあっても、主イエスが平和を残し主イエスの言われる「私の平和」を与えて下さる、その平和とはどのような平和であり、この平和を私たちが得て、心を騒がせず、怯えることなく、むしろ勇気を出して歩むようになるとはどういうことか、これが主題です。

 

キリストの平和を得るために必要なことがあります。旧約の詩編からヒントを戴きましょう。詩人はこう謳います。目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る。天地を造られた主のもとから(詩編一二一・一~二)。

私の救いは主のもとから、神のもとから、だから天地を造られた御業を思い山々を仰ぐ。新約の私たちから言えば、救いはキリストから来る。だから主イエス・キリストを仰ぐ。キリストを仰いでこそ、怯えることなく勇気を出せる。

勇気を出すは、安心するとも訳せる言葉ですが、福音書の記事で、誰かが湖上を歩いているのを見て幽霊だと勘違いして怯えた弟子たちに、主イエスがお語りになったのが、「安心しなさい。私だ。恐れることはない」(マルコ六・五〇)。「勇気を出しなさい。私だ」とも訳せる。主イエスのこのお言葉に促されて、弟子たちは主イエスを認識した。主イエスを仰いだ。主イエスを仰ぐことで安心する。そこで弟子たちの心は平和になった訳です。

この箇所から投げかけられる問いかけがあります。それは、私たちが主イエスを仰ぐことによって与えられる平和、安心、救いを求めているか。キリストとの人格的出会いを自分の救い、安心、平和として求めているか、ということです。世の中は、無病息災、家内安全、商売繁盛を自分の救いとして求めているのではないか。あるいは、自分の悟りや自分の生き方を求めているのではないか。恐らく、神との人格的出会いを自らの救いの核心部分として求めてはいないのではないか。

 

そして実際の日々の現実、また世界の現実は、時に平和ではないし、苦難や困難が消えて無くなることはありません。外的には苦難や困難があり平和でないのに、にも関わらず、キリストを仰いだその日には安心して平和の中を歩むとはどういうことか。主イエスはその理由を「私は既に世に勝っている」からだと語ります。十字架における罪への勝利、復活における死への勝利です。

 

それで今日は、一人の人、当教会の信仰の先達のお一人の証の文章を紹介します。苦難・困難の中にあってもそれらに負けること無く、平和に生きる姿、その信仰の姿を分かち合いたい。引用は少し長くなりますが、味わい深いものですのでお聞き下さい。その証というのは「わたしの歩んだ道」という題の、河内長野教会婦人会証詞集の中から一つ選びました。滝沢(瀧澤)ハツさんの「支えのなかでひたすら、生きて」という証です。抜粋しながら私の感想も交えてご紹介します。

 

私、人様に自分の信仰について、お話しすることは何もありません。自分の生活に必死で、教会のためには何のお役にも立ちませんでした。けれど、神さまが支えて下さいましたので、どうにか今日まで生きて来れました。

本当に、教会は私の避け所であり、安らぎ(森田のひと言→安心、平和)でした。教会の主にある交わりで、どんなに慰められ、助けられたか分かりません。思いつくまま私の今日までの神様のお守りと支えをお話ししてみます。

私は大正二年埼玉県川越生まれ。昭和十一年にこっちに来ました。長野のお祭りを見に行きました。丁度、祈祷会の日で、先に洗礼を受けていた妹に誘われて初めて教会の門をくぐったのです。それから教会に通うようになり、翌十二年、吉野丈夫牧師に洗礼を授けて戴きました。

千早口から長野まで片道の電車賃が十一銭だったのですが、母がもったいないと言うものですので、歩いて通いました。ほとんど夜の礼拝や集会に出席していましたので、往きは提灯をさげ片道一時間ほど歩いて行ったものです。別に苦にはなりませんでした。帰りは遅くなるので、電車に乗りましたけど。信仰に燃えていたとか、そんな立派なことではなく、神様のお招きに従っていただけのことです(→教会に招かれていた…)。

昭和十八年に結婚しました。結婚生活は辛いことが多く、なぜ? どうして? と呟くことが何度もありました。それも今では、全て神様のご計画であったように思います。主人は、戦後は色んな無理がたたり、ずっと病弱でした。その上、世の中の激しい移り変わりで、仕事もなくなり、ついには店をたたんでしまいました。父が昭和二十九年、母が三十一年に亡くなりましてからは、本当に苦しい生活でした。どん底でした。私たちはお金のない辛さ、貧乏の惨めさを嫌という程味わいました。

こんな生活の中で、どうにかやって来れたのは、信仰でした。信仰らしい信仰じゃないですけど、教会を拠り所とし、北野先生なんかにも、よく泣き言を言ったりしました(→御前で泣き言を言える。それが教会の交わり)。

教会員の方々にも、随分助けて戴きました。夜、子どもを連れて祈祷会や聖書研究会に行くと、子どもが寝ちゃうんですね。そうしたら小西雄三さんなどがよく世話を見て下さいました(→相互牧会ですね)。雪の降る時は、子どもをおぶって、ねんねこを着て行きますでしょ。昔は小さい礼拝堂だったから一杯で入れずに、神下さんの奥さんと子どもの頭にショールをかぶせて、窓の外から礼拝の説教を聴いたこともありました。教会に行くことだけが支えでした。

苦しい生活は続きましたが、その中にも着実に神様のご計画が進んでいたのですね。主人がある時、私に言ったのです。「お前、それでも教会に行ってるのか」(→ご主人の心からの深い問いかけです! 大切に受けとめるべき問いかけです)。それで私が「こんな人間だから、教会に行って、罪を赦してもらうんです」と申しますと、「そうか、罪を赦してもらうのか」と主人は頷きました。私と一緒に行きましょうと誘うと、それからずっと行くようになりました(→思いがけない聖霊なる神様の導きの出来事です)。私は二十九年頃から勤めに出てまして、日曜日は仕事でしたので、月に二、三回も教会に行けたらいい所でした。でも主人は私が行かない時も、教会に行っていました。

試練に次ぐ試練の年月、だけども、とうとう主人は三十五年クリスマスに洗礼を受けました。どうしてこの人と一緒になったんだろうかと思ったこともありましたが、この人を救うために、私にお与えになったのだと思います。

神様の為したもうことは全て最善なのですね。私たちを救うために、まず父をこの地に導き、母と妹を、そして私をこの地に導かれました。そして主人です。私がこうしようと思ったのではなく、全て神様の憐れみと、お恵みによってでした。

神様から与えられたものを、私は信仰のためでも、人のためでもなく、ただ自分の生きるため、家族のためにだけ使ってきました。今でもそうなんです。だけど嬉しく思うのは、こんな私でも、神様は見捨てたまわず、この教会に置いて下さいます。礼拝のお説教で、キリストの中に自分を見出し、キリストに捕らえられている人間になりなさいと教えられましたが、これからのモットーにしたいと思います。

 

瀧澤ハツさんも「安心しなさい。私だ」とのキリストに出会い、捕らえられ、キリストを仰ぎ続けた信仰者でありました。日々の営みは試練に次ぐ試練の年月です。戦争中には教会に行くこと自体が試練になることもあったのではないでしょうか。でも神様に招かれて教会に行くことが支えとなった。教会に置いて戴いて、それでキリストとの出会いの中に包まれ支えられ、相互牧会の中で助けられて苦難に負けることがない。困難の中にあってもキリストの平和を得て、ひたすら生きて生ききった。「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平和を得るためである。あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」。主イエスのお言葉通りのご生涯だったと感動します。