日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2019年1月13日 説教:森田恭一郎牧師

「涙せよ、我が子を懐き、慰められよ」

エレミヤ書31章15~17節
マタイによる福音書2章13~15節
今日の聖書箇所は、主イエスの誕生の物語に続く、エジプト避難とベツレヘム周辺での幼子たちが殺される悲しい出来事を記します。
占星術の学者たちがエルサレムに寄ってヘロデ王に会うことが無ければ、幼児虐殺のこの悲しい出来事は起こらなかったのに、何故、星は直接ベツレヘムへと学者たちを導かなかったのかと思わずにはいられない気持ちになる箇所です。それは、ヘロデ王の所で、ユダの指導者がお生まれになったのは聖書(ミカ書五章)に基づきベツレヘムであることを確認し、その後、星に導かれ、預言者の語る通りであったことを明らかにするためでした。

そして今日のエジプトへ避難する出来事も、一五節後半の聖句によれば、それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった(ホセア一一・一参照)のです。一三節に戻って以下読みます、占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこに留まっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。この時、ヨセフは主の天使のみ告げにすぐ従い、夜の内に家族を連れて出かけます。母マリアは、幼子を抱いて夜道を歩まねばならない。何故、こんな目に遭うことになるのか。ヨセフとマリアは追手を気にしつつ、どのような思いで夜の道を歩んで行ったのか……。
先日のクリスマスの説教の中で、恐らくヨセフは早く死んで主イエスの家庭は母子家庭であったと申し上げましたが、今日の記事は、今の言葉で言えば、難民の経験を強いられたことを語ります。主イエスは、生まれてみれば飼い葉桶に寝かされ、難民生活を強いられ、人としての試練や苦しみを幼子のときから担っていくことになります。

一六節以下、さて、ヘロデは占星術の学者たちに騙されたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。この時殺された二歳以下の男の子たち、親から無理やり引き離され殺されてしまう。殺されてしまえば思いようはありませんが、幼子たちは何を思っただろうか。母親たちは、殺された血みどろの我が子を抱きながら、何を思っただろうか。
マタイはここでエレミヤ書の言葉を引用する。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」。ラケルはヤコブの妻、ベニヤミンの出産直後に死んで葬られる。その場所がラマ。エレミヤ書では、ユダが戦争に敗れてバビロニアの捕囚になって人々が連れて行かれる。その通り道でラケルが墓の中から泣いて、慰めを拒んでいる。もうみんな連れて行かれて自分の子孫である息子たちがいなくなるから、とバビロン捕囚の悲しみを唄う。マタイはそのラケルの悲しみと母親たちの悲しみを重ねている。
兵士たちはどうだろうか。無抵抗の幼子を手にかけるなんて…。そしてヘロデは? 良心のかけらもないのか?
その兵士や王は、自分でその罪の負い目を負うのか。それともその罪はキリストが負って下さるのか。それともこれ程の残虐な罪は誰も負わなくてもいいということか。けれども、思えば私たちも、彼らと同じものを抱えていないだろうか。

兵士たちは、殺したくて殺した訳ではないのかもしれない。家族に子どものいる兵士もいたかもしれない。殺さなかったら、自分が殺されると怯えていたのかも…。兵士になるとはそういうこと。そして自分も同じ立場に立たされたら、殺さないとは言い切れないだろう。
ヘロデ王もまた「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」、この言葉を学者たちから耳にして以来、自分の地位が狙われると、幼子に怯えまくっている。王なのにヘロデも実は同じように怯えている。ある本(「イエスの降誕物語」及川信)に書いてあったのですが「晩年、ヘロデの目はいつも血走っており、誰も近づかなかった」とのこと。実に孤独です。孤高とは言い難いこの事自体が、自業自得とは言え、ヘロデには既に裁きとなっているとも言えます。

一九節以下、ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」。ヨセフと家族は、ヘロデに対して何も抵抗する術もなく逃げるだけ、そして危険が過ぎるのを待つだけ。ヘロデは紀元前四年に没します。学者たちに星が輝いたのが紀元前七年だとすれば、エジプトでの難民生活は三年間ほどになりました。
そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。この事についてマタイ福音書は、それまでと同じく、預言者の言葉の成就だと説明します。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
この預言はしかし旧約聖書にはありません。祭司長たちや律法学者たちがミカ書にベツレヘムから指導者が現れることを明らかにしましたように、もし言うなら「彼はベツレヘムの人と呼ばれる」とあるべきであるのです。であるのに、ヘロデやアルケラオの罪の故に「ナザレの人」になってしまった。しかもこのことが後に「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ一・四六他)と主イエスを批判する理由の一つにもなります。

これはどう考えたらよいのだろうか。神様は歴史を支配される。しかし、人間の罪の故に神様はご計画や予定を変更しながら歴史を導かれるということです。
あの二歳以下の幼子たち、本人は何も悪いことをしていないのに殺される、ご計画ではすくすくと成長していくはずなのに、本人たちの思いを超えて、何も悪いことをしていないのに殺された十字架上の主イエスを証しし指し示す出来事に変更となりました。それから、死んでしまった我が子を抱きながら涙して悲しみに沈むあの母親たち、本来は抱きながら微笑みを交わすべきなのに、その姿は、十字架から引き下ろされた主イエスを抱いて涙するマリアを指し示す出来事となりました。
それはまた、そのマリアに抱かれる亡くなられた主イエスをあの母親たちが知ったなら、我が子と重なって慰めを得ることとなったのではないでしょうか。あのエレミヤが預言したラケルの姿、主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちの故に泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから(三一・一五)。実はエレミヤ書はこの後に続けて語ります。主はこう言われる。泣きやむが良い。目から涙をぬぐいなさい(一六節)。この預言は成就するのだろうか。イエス・キリストにあって成就しなければなりません。慰めを拒む程のその悲しみは、悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる(マタイ五・四)という慰めのある悲しみに変わるのであります。キリストが人間の罪を負わされ、そしてまた、母に抱かれる子のようにして、悲しむ者の傍らにおられるからです。
神様はそのように、人間の罪を背負わされながら歴史を支配なさいます。もし人間の罪がなければ、神の国はもっと早く完成したのではないでしょうか。Ⅱペトロ書にこうあります。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです」(三・九)。
主イエスは後に、ヨセフやマリアから聞いたことでしょう。マリアが幼な子主イエスを抱きながらエジプトに逃げなければならなかったこと、自分のことでベツレヘムの二歳以下の幼児たちが殺されたこと、今ナザレに住んでいることの経緯等々、主イエスはどう思われたことでしょうか……。人間の罪を背負うご自分の使命を一層深く悟られたに違いありません。

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