日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2026年2月15日 説教:森田恭一郎牧師

「静かにささやく神の声」

列王記上一九・一~一八
ルカ   五・二七~二八

今日登場するのは預言者エリヤです。その名前は「私の神は主です」という意味です。エリヤは 「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」(列王記上一七・一)ということを証しし続けた預言者です。主なる神様のお言葉に従って、干ばつになることを預言し、バアルの預言者四五〇人を前にどちらの神が本物かと戦ったり、パンと水でカラスに養われたり、母子家庭の病で死んだ一人息子を生き返らせたり、これまで神様が生きて働いておられることを証しし続けてきました。

 

そしてこの日、エリヤが逃れ込んだ洞穴は真っ暗でした。その時、主の言葉がありました。「エリヤよ、ここで何をしているのか」(列王記上一九・九)。エリヤは答えました。「自分は『あなたが真の神様だ』と預言者として情熱を傾けて仕えてきたのに、人々は結局、契約を捨てあなたとの関わりを拒み、祭壇を壊しあなたを拝むことをせず、他の預言者たちを殺してあなたの御言葉を聞こうとしません。私はもう一人っきりです。みんな私の命をも奪おうとねらっています」。こう呟き、預言者でありながら、国中のみんなから嫌われてすっかりやる気をなくしていました。情熱を傾けて主なる神様に仕えてきたのに、結局、殺されるだけではないか。エリヤは神様に疲れたのです。心が真っ暗だったのです。

主はエリヤに促します。「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」。洞穴の外では、主が通り過ぎて行かれて、主の御前には、ビューッゴーッと非常に激しい風が起こりました。山を裂き、岩を砕くほどのものです。それからグラグラッと地震も起こりました。それからボーッボーッと火も燃えていました。でもそれらの中には主はおられませんでした。そしてその後のことです。静かにささやく声が聞こえました(同一二節)。どのようなお言葉だったのでしょう? 聞き取れなかったかも知れません。でもエリヤは主なる神さまがおられると感じました。神さまを見ないように外套で顔を覆いながらも、洞穴の入口に立ち、主の御前に出て来ました(聖句カードNo.45)。

「エリヤよ、ここで何をしているのか」。主なる神様が再び声をかけます。でもせっかく主の御前に立ったのに、言い連ねたことは先ほどと同じでした。「自分は『あなたが真の神様だ』と預言者として情熱を傾けて仕えてきたのに、人々は結局、契約を捨てあなたとの関わりを拒み、祭壇を壊しあなたを拝むことをせず、他の預言者たちを殺してあなたの御言葉を聞こうとしません。私はもう一人っきりです。みんな私の命をも奪おうとねらっています」。やる気をなくし、神に疲れ、心は真っ暗なままです。まるで、主がエリヤの前をも通り過ぎて行かれたかのようにです。

 

でも、嵐や地震や火災は通り過ぎても、主は、エリヤの前を通り過ぎて行かれませんでした。やる気をなくし、下を向いて真っ暗な洞窟の中に籠もっているのは、もうこれでいいだろう?と声をおかけ下さったのです。そして 「行け」。「ダマスコの荒れ野に向かえ」。主は預言者であるエリヤに新しいミッション、使命、役割をお与えになります。しかも一人っきりではありません。主はこう言われました。「私はイスラエルに七千人を残す」(同一八節)。信仰者七千人です。私たちで言えば教会です。

エリヤは、洞窟の中で静かにささやく声に気付いて、洞窟の入口に立ちました。その御声は、暗い洞窟への入口ではなく新しい一歩を踏み出す洞窟の出口への招きでした。

 

真っ暗な洞窟、実は、色々な洞窟があります。ある日、主イエスはレビという徴税人が収税所に座っているのを見て「私に従ってきなさい」と言われました(ルカ五・二七)。主イエスから見て、レビの姿は洞窟の中にいるエリヤのようでした。皆さん、心に扉があるのを知っていますか。心の扉を閉ざすと、心はまるで洞穴の中にあるように真っ暗です。徴税人のレビ、周囲のみんなは彼を嫌い、レビに対して心の扉を閉していました。

レビもみんなに心の扉を閉ざします。いや、神様なんかいないと神様にも心の扉を閉ざして、洞穴のようにレビの心は真っ暗です。

そこに主イエスが、レビをご覧になって声をかけられました。「私に従いなさい」。洞穴から出てきなさい、という訳です。レビはハッと気が付きました。主イエスが眼差しを注ぎ、御声をかけて下さった。「神様は生きておられる、私の神様はイエス様です」と知りました。レビの心の扉が開きました。洞穴の出口に導かれて、何もかも捨てて、神なんかいるもんか、という罪の思い、全て捨てて主イエスに従いました。

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