ルカ 二・一~七
クリスマスの晩。家畜小屋の二人は天国のような静けさの中に包まれました。
ヨセフの婚約者のマリアは、ヨセフと一緒になる前に、ガリラヤのナザレの町で天使のお告げを聞きました。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ一・二六~)。
他方ヨセフも、夢で天使からお告げを受けていました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を生む。その子をイエス(=主は救い)と名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。そしてこの出来事をマタイ福音書は、こうしてインマヌエル=神は我々と共におられるという預言者の言葉が実現すると告げています(マタイ一・二〇~)。
その時以来、ヨセフはマリアを見守る度ごとに、またマリアも大きくなるお腹をさする度に天使のお告げを思い起こし、お家で出産の準備もしていました。
ところが突然、皇帝の命令で全住民は自分の町で住民登録のため旅立たねばならなくなりました。マリアとヨセフも遠く離れたベツレヘムの町まで出かけます。パッカポッコとマリアはロバに揺られ、ヨセフはロバの綱を引きながら旅を続けます。そして「やっとベツレヘムの町が見えてきたよ」。
宿屋での出産になりそうです。ある宿屋の前で「ここがいいい」と思いました。それなのに満室でした。他を捜してもどこも一杯で、宿屋には二人の泊まる場所はありません。こんなはずではなかった。にぎやかな宿屋を前にして、ヨセフとマリアは不安と寂しさで涙がどっと溢れます。やっと見つけたのは宿屋の代わりに馬小屋です。「こんなの嫌だ」。でもそんなこと言ってられません、もう生まれそうです。馬小屋にあるのはベッドの代わりに藁を敷き詰めた飼い葉桶、用意できたのはふかふかのお布団の代わりに布だけです。そしてこの晩、赤ちゃんはオギャーオギャーと元気に生れて来てくれました。布にくるんで飼い葉桶に寝かせます。
この時の様子を讃美歌は歌います。
きよしこの夜 星はひかり、
救いの御子は まぶねの中に
眠りたもう 安らかに。
この歌詞は由木康の名訳ですが、もとのドイツ語の歌詞は、その言葉の響きが少し異なっているようです。
静かな夜! 聖なる夜!
すべてのものは眠り、ただ寂しく眠らぬは
いとしき、まことに聖なる夫婦のみ
巻き毛の男の子を抱き
天国のような静けさの中に眠れ
天国のような静けさの中に眠れ。
いつしかスヤスヤと眠るイエスさま……、マリアは天使のみ告げを思い起こしていました。「生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。もしマリアがイザヤの言葉も思い起こしていたら、それゆえ、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(イザヤ七・一四)、このイザヤの預言や天使のお言葉、これと、目の前にスヤスヤと眠る乳飲み子イエスさまのお姿と、この二つを重ね合わせながら、マリアとヨセフは「私たちのこの所に、聖なる者、神の子が来て下さったのだ」と神さまの聖なる出来事に包まれ、心は満たされ慰められ励まされました。そして、イエスさまとこれからも一緒にい続けようと思いました。
マリアとヨセフも、にこやかな表情になりました。「これで良かった……」。神さまのご計画の中に導かれ守られていたのだ、と思いました。