イザヤ一一・一〇
ルカ 二・八~一四
クリスマスおめでとうございます。今日はクリスマスに与えられるしるし=象徴に思いを馳せます。しるしとは何でしょう? 或るものを指し示すのがしるし=象徴です。例えば、十字架。ここにお持ちしましたのは、以前講壇に置かれていた十字架です。この会堂が献堂された頃に信徒の方が手に職があって作って下さったのを献げて下さったものです。十字架を見て、外から見て人々は何を思うのでしょう。会堂の建て物に十字架があれば「あれは教会だ」と分かります。塔があれば教会になるでしょうか。塔のあるお店があります。長崎ちゃんぽんのお店、メガネのパリミキのお店。塔があっても十字架がなければ教会にならない。塔がなくても十字架があれば教会だと分かる。また信仰者が十字架を見上げたら、キリストが成し遂げて下さった罪の贖いの救いを見出すことでしょう。罪の贖いという見えにくい事実を十字架は現し指し示しています。今、この十字架は講壇の所にない訳です。小倉牧師の時に取り除きました。それは、聖書を説き明かす言葉によって描き出された十字架を見上げ、贖いを心に刻むことが大事です。だからここに聖書を置いている。以来、私に至るまで、歴代の牧師は、以前あったこの十字架を戻すことはしなかった。聖書を説き明かす言葉によって描き出される十字架が、教会や贖いの救いの出来事を指し示しています。そうやって、しるしは或るものを指し示します。
預言者イザヤはクリスマスをこう預言しました。それ故、私の主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(イザヤ七・一四)。 インマヌエル=神が我らと共におられることのしるしとして男の子が生まれます。一人のみどりごが私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる(イザヤ九・五~)。その男の子は神の権威と主の熱意を象徴しています。その日が来れば、エッサイの根は全ての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。その留まるところは栄光に輝く(イザヤ一一・一〇)。 エッサイ=ダビデ王の父。このエッサイの根=子孫から生まれ立てられる者が王の旗印なのです。
このようにしるしを語ったのは何故かというと、真の神様がおられることを本気で信じられなくなり、手頃な分かりやすい偶像の礼拝が蔓延したからです。それで、インマヌエル=神様は我らと共におられるのだ、そのしるしとしてエッサイの根から王、救い主が生まれるのだ、と語る訳です。
クリスマスの晩、一人のみどりご、男の子が生まれました。ヨセフとマリアがいるだけの馬小屋で、そしてその乳飲み子を布にくるみ飼い葉桶に寝かせました。エッサイの根から生まれた王様には、あまりに相応しくないご降誕の場面でした。
でもそのことが、救い主のお生まれになったことのしるしとして用いられました。クリスマスの晩、天使が羊飼いたちに告げました。「あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである」。それでは何のしるしかと言いますと、「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。大きな喜びのしるし、私たちのために救い主がお生まれになったことのしるし、この乳飲み子がメシア=救い主であられることのしるしです。ただの布と何と飼い葉桶が、メシア=救い主がここにおられる、そのしるしとなりました。布にくるまれ飼い葉桶に寝かされ、宿屋には泊まる場所がなかったというこの出来事の中に、救い主の真の姿が明らかになっている。羊飼いたちが聞いた天使のお告げが、もし、世の権力者が住む王宮の豪華なベッドに生まれた、という出来事であったら、羊飼いたちは俺たちの行ける場所ではない、別様に言えば、救い主は自分たちの所には来てくれなかった、と思えたことでしょう。
でも、そうではなかった。羊飼いたちの人生と救い主のご降誕の出来事が触れ合った。天使が告げた「大きな喜び」の物語は羊飼いたちにも届いた。そして羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さったその出来事を見ようではないか」と話し合って、手を取るようにして立ち上がり乳飲み子を探し当てたのでした。
私たちは一人ひとり、振り返ってみれば、自分の人生の営みを歩んできた、その物語があります。その私たちに天使は物語ってくれる。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。このように天使が、救い主ご降誕の物語を私たちの人生に触れてきます。
御子のご降誕は、聖餐も、キリスト御自身が私たちに触れて下さる、インマヌエルのしるしです。