日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2025年11月16日 説教:森田恭一郎牧師

「ずっと前から、み旨の中に」

詩編一三九・一三~一八
エフェソ一・四~六

今日は、人生の始まる前、人生の間、人生のその後について聖書の御言葉から思い巡らします。

今日の説教題を「ずっと前から、み旨の中に」としました。まず「み旨」というのは、神様のお心、お考え、ご計画、決めたぞ、やるぞ、という神様のご意志です。それで何をするのかというと、愛することにしたぞ、というご意志です。神は私たちを愛して(エフェソ一・四)とある通りです。

この愛のご意志の内容を、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしよう、と言い換えています。神様が、やるぞ、とお決めになったのです。だから私たちの方から、自分は聖なる者になるぞ、汚れのない者になるぞ、と頑張ることではありません。誰が頑張るのかと言うと、キリストにおいてお選びになりました。神様が頑張って、キリストが十字架で私たちの汚れを背負うことによって、私たちを聖なる者、御自身の者として下さった訳です。

いつから?と考えてみましょう。キリストが十字架にお架かりになったのは、今からおよそ二千年前のことです。そしてそれを神様が、やるぞ、とお決めになったのは、それよりもずっとずっと前からです。ずっと前、いつかというと、天地創造の前に(エフェソ一・四)とある通りなんですね。

皆さん、自分の年齢、ありますね。仮に三歳のお子さんのことを例に考えてみましょう。三歳というのは生まれてから三年生きてきたということですね。それでは一年前は? 二歳でした。二年前は? 一歳でした。三年前はゼロ歳でした。それではその前は? お母さんのお腹の中でした。あなたは、私の内臓を造り、母の胎内に私を組み立てて下さった。胎児であった私をあなたの目は見ておられた。私の日々はあなたの書に全て記されている。まだその一日も造られない内から(詩編一三九・一三、一六)とある通りです。お腹の中におよそ十ヶ月います。

それでは、それでは……、お母さんのお腹の中に宿るその前は? 皆さんはその時、どこにいましたか? 答えは、どこにもいません。でも……、聖書はとてもとても大事なことを語っています。

天地創造の前に(エフェソ一・四)。お母さんのお腹の中に宿る前、それも更にずっとずうっと前の天地創造の前、永遠の昔に! 神は私たちを愛して。天地創造の前に、み旨があった。決めたぞ、やるぞ、私たち=みんなのことを愛することにしたぞ、という神様のご意志があった。その時、神様の頭の中には、もう、私たち、みんなの顔、姿、名前がある。私たち一人ひとりの名前を覚えて、私たちを愛する神様のご意志=ご計画があった訳です。

そして、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしよう、キリストに於いてお選びになりました。 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです (エフェソ一・四~五)。選ぶとか定めるとありますが、選ばれた人と選ばれない人がいるというのではなく、命授かった者はみんなキリストに於いて選ばれ定められた者です。キリストに於いてというのはキリストが十字架におかかりになって人間を救い取って、三日目に甦られて永遠の命を確かなものとされた、キリストによる救いの計画に、ずっと前から私たちを取り込んでいるということです。  ですからそれは、私たちが生まれてからの、例えば顔が良いとか悪いとか、性格が素直とかひねくれているとか、お金持ちの家に生まれたか貧乏な家に生まれたかとか、成績が優秀かどうかとか、更に、何かしらの病や障害を持って生まれてきたとしても、あるいは流産や死産だった、そういうことにも関係ない。生まれてからの私たちがどうであれ神様の愛は揺らがない。障害をもって生まれてきても、死産だったとしても誰のせいでもない。キリストから見れば、ずっと前から私たちは例外なく皆、聖なる者、汚れのない者、神の子。その身分を恵みとしてプレゼントされたのです。  この聖句カード(23年度No22)を御覧下さい。この子たちは、白い十字架の元にいて、神の子たちとして生きています。何をしていますか? 神がその愛する御子によって与えて下さった輝かしい恵みを、私たちがたたえるためです (エフェソ一・六)。教会で賛美を歌ったり祈ったりして、喜んでほめたたえています。キリストに於いて私たちは、聖なる者、汚れのない者、神の子たちです。その信仰は、陰府の力、死の力も対抗できない。地上の人生で不条理や辛いことがあったとしても、神様に見捨てられたのではない。神の愛は揺らいでいない。そう信じるようにと教会に招かれている私たちは、神様をたたえて生きます。

このように、天地創造の前から神様はキリストに於いて、私たちをほめたたえる者として造ろう、地上の人生を生きてもらおう、と決められました。

 

それでは、この地上の人生を終えたらどうなるでしょうか。私は尚、あなたの中にいる (詩編一三九・一八)。私たちが地上の人生を終えた後も、神様はキリストにあって罪贖われた者として、一人ひとりとその人生を忘れることなく御心の内に覚えておられ、私たちを愛して(エフェソ一・四)下さる。地上の人生の後、神様の愛はキリストにあって揺らがない。このことは、愛の神様にお委ねして安心して良い、私たちはそう信じます。

この後、誕生日の歌を歌います。生まれたその日に歌ってあげたい。それから毎年お互いに誕生日毎に歌います。そして天上の世界でも甦らされたら、いつでもみんなで歌える褒め歌う歌です。

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