日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2025年7月6日 説教:森田恭一郎牧師

「大勢が主イエスのもとに」

詩編 八六・五~一〇
マタイ 四・二三~二五

「宣教・教育・奉仕」。いつの頃からでしょうか、この三つを当教会の働きを表すスローガンとして語るようになりました。この三つの根拠になるのが今日の聖書個所(マタイ四・二三。併せて九・三五~も参照)です。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え(=教育)、御国の福音を宣べ伝え(=宣教)、また、民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された(=奉仕、あるいは医療・福祉)。この三つの点が主イエスと共に出来事となるとき、その都度、そこに神の国が実現している、と言える訳です。この主イエスの働きを、中山昇は 「教会の三つの使命のあり方」と語っています(『A・D・ヘールに学ぶ』六三頁)。これらの教会の働きを通して教えられ、宣べ伝えられ、癒されたのが私たちです。そしてこの私たちが、この教会の働きを担う者へと招かれ用いられて、教会の歴史を形作ってきたと言えるでしょう。

主イエスの評判が広まると、人々はイエスの所へ、色々な病気や苦しみに悩む者、悪霊に取り憑かれた者など、あらゆる病人を連れて来たのでした。それは病気や苦しみに悩んでいるからなのですが、癒されたら、有り難うございました、ハイさようなら、ということなのでしょうか。もしそうだったら。私たちの今日の病院の利用と同じになります。治ったらもう行く必要はありません。  けれどもマタイ福音書は、大勢の群衆が来てイエスに従った(マタイ四・二五)と、群衆が主イエスに従ったことを記しています。この群衆が病いや苦しみが癒された後も従ったのか分かりません。またこの群衆たちがその後に主イエスの働きを担う弟子の一人ひとりになっていったのかどうか分かりません。

けれども大勢の群衆が主イエスに従ったことに、主イエスのお働きの力強さが現れていますし、主イエスの癒しを経験した者たち、ここに地域名が載っていますが、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側の人たちが、後の初代教会のメンバーの一員になったであろうと想像します。「私は主イエスから学教えを学びましたよ、福音を伝えられて罪を赦して戴きましたよ、病や苦しみが癒されましたよ」、と教会が教え、宣べ伝え、仕える営みが嘘ではないと語る(歴史に名前は残っていませんが)大切な証し人になったに違いありません。今日の詩編の言葉を自分自身が既に経験した言葉として語り得ました。主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方、あなたを呼ぶ者に、豊かな慈しみをお与えになります。(詩編八六・五~)。お赦しになる方です。ただ病が癒されるだけではない、十字架のキリストに出会いを待ち望んでいます。新約に生きる私たちは、既に実現していることとしてこの聖句を味わうことが出来ます。以下も同じです。主よ、私の祈りをお聞き下さい。嘆き祈る私の声に耳を傾けて下さい。苦難の襲う時、私が呼び求めれば、あなたは必ず答えて下さるでしょう。主よ、あなたのような神は神々の内になく、あなたの御業に並ぶものはありません。イエス・キリストに根拠を置く大切な信仰の告白です。この群衆たちの中から信仰を証する初代教会員の核になる人たちが生まれたに違いありません。

ところで、三月に記念の講演を下さいました和田栄氏が語っておられました。河内長野の村の歴史のある行事、祭り行ってみたら子どもが一人もいない。これではもう、河内長野は潰れると思う。コミュニティーの中心は人と人との繋がりです。その意味では教会も非常に重要な立場にある。三重県のある神社で、滝に打たれる行がある。それがネットで若い人が増えて、一杯集まってくる。それを見ながら、やはり色んな人たちの心の中には、荷物を一杯背負って生きている人、この河内長野にも一杯いるだろう。そういう人らが救いを求めている。その時に、イエスさんのこういう教会のもとでそういう風な集まりが出来ればもっとええ事あるって、つくづく思う。

沢山の若者たちが、他でもない神社の滝に打たれる行に集まって来た。和田栄は、単なる楽しみで来たわけではないだろう、荷物を背負う人と人の繋がりには宗教が不可欠だろう。学校には出来ない、と訴えられたのでした。この若者たちの姿と主イエスのもとにやってくる群衆とが、私には重なって見えてきます。この若者たちが教会に繋がり 「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ一一・二八)と呼びかけて下さるイエス・キリストと繋がる。疲れも重荷もキリストが十字架に背負って下さる。若者とたちが(もちろん、若者に限ったことではありませんが)この教会のコミュニティーの中に集まるようになったら、と梦(ゆめ)を描かせてもらいました。教会の宣教・教育・奉仕の使命を通して、イエス・キリストに出会う可能性を、この河内長野の人たちも豊かに与えられています。

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