マタイ一・一八~二三
一人のみどり児が私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる (イザヤ九・五)。 イザヤが預言し待ち望んでいた神さまの御子が、天から降りて来られて、聖霊によってマリアのお腹に宿り、クリスマスの晩、お生まれになります。天使は、このことをヨセフに夢で教えてあげました。それからその夢の中で生まれてくる男の子のお名前も教えてくれました。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」(マタイ一・二一)。皆さん、男の子のお名前は? 「イエス様!」ですね。
続けて天使は不思議なことを語ります。「この子は自分の民を罪から救うからである」。「から」というのは理由を表していますね。二つの文章、一つは、「この子は自分の民を罪から救う」、だから、そういう理由で、もう一つは 「イエスと名付けなさい」。 この二つの文章、うまく繋がりますか? それはイエスという名前の意味を知ると分かります。イエスとは「主は救い」という意味です。それで、自分の民を罪から救う、だから、イエス=主は救いと名付けなさい。繋がりましたね。
お父さん、お母さんが子どもに願いを込めて名前を付けます。例えば、私は恭一郎という名前、これは一番目に授かった子という意味があります。嬉しかったのでしょうね。それから平和という名前の私の友だちがいます。この名前はそのまま平和という言葉です。平和の和と書いて和子さんという友だちもいます。きっと、みんなが仲良くなるようにという願いを込めています。神様はこの男の子の名前に願いを、そしてご計画を込めました。この子は自分の民を罪から救う。だから「イエス=主は救い」と名付けなさい。自分の民を罪から救うこの願いとご計画を込めています。
天使は、夢の中でもう一つ名前を言いました。旧約の時代に預言者が神様から聞いた言葉です。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。インマヌエルという名前。これも意味があります。「神は我々と共におられる」という意味です。ただ、名前と言っても、私たちは「インマヌエル様」って呼んだことないですね。これは、イエス様に出会うと神様は私たちと一緒におられる、という神様の宣言です。また、イエス様に罪を赦して戴いたら、神様は私たちと一緒にいて下さる、と心から思えるようになりますよ、ということです。
この夢では天使は語りませんでしたが、イエス様はもう一つお名前があります。皆さんもよく知っていますよ。「キリスト」です。この意味は「救い主」という意味です。ですから、イエス・キリストと言えば「イエス様は救い主です」と言い表していることになります。森田先生と言えば「森田さんは先生です」と言っているのと同じです。 このように、この男の子には三つの名前があるのですね。主は救い、それは? 「イエス様!」。神は我々と共におられる、それは? 「インマヌエル!」。イエス様は救い主、それは? 「イエス・キリスト!」ですね。
皆さんにはみんな名前があります。名前があるのだから、名前を呼んで欲しいですよね。せっかく名前があるのに誰も呼んでくれないとしたら寂しいです。神様だって読んで欲しいと思われるでしょう。そこで私たちもお呼びしましょう。でも、「神様!」と呼ぶのは良いのですが、ただ「神様」だけなら不充分です。どの神様だか分からないからです。洗礼を受ける時も、イエス様を信じます、という告白でなければいけません。神様のお名前は、イエス様です。
クリスマスにお生まれになったこの男の子、天使が「その子をイエスと名付けなさい」と言いました。それは、その名を呼びかけなさいと私たちにも促しているのです。「イエス様」って。こう呼べることが、イエス様に心を向け、心を開いて、キリスト教信仰の第一歩になります。それでは皆さん、大きな声で「イエス様」って呼びかけてみましょう。「イエス様!」。