日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2024年12月8日 説教:森田恭一郎牧師

「天を裂き、降ってください」

イザヤ書六三・一九
フィリピ 二・一~八

主を待ち望む待降節に入りました。本日のイザヤ書の言葉は、旧約の民が救い主を切望したその思いを記しています。どうか、天を裂いて(!)降って来て下さい(イザヤ六四・一九)。そして、時が満ちるに及んで、天におられた御子キリストが天を裂いてこの地上に降って来られました。聖霊によってマリアのお腹に宿り、人間の歴史の中にお生まれになりました。それがキリストのご降誕です。それは、旧約の民の切なる祈り求めに応えて、天を裂いて降って来て下さったのです。

『A・D・ヘールに学ぶ』は、開拓者ヘール宣教師兄弟の姿を語っています。来日すると外国人は居留地にしか住むことが出来ず、許可証がないと町に出歩くことも出来なかったのが、一八九三年(明治二六)にその制限が緩和されると、二人は伝道に打って出ます。具体的なエピソードの部分は割愛しますが、こんな記事があります。一軒の借家を見つけて正に日本人のど真ん中へ身を挺して行く開拓者、これが外国人居留の自由を知った、J・B・ヘールの生き方であった(一四〇頁)。あるいは、雪の山河を滑らぬ為に、わらじ履きで一人の求道者を尋ねて歩かれた先生の姿が心に痛い。何里の雪の山坂を越え、飢えた狼も恐れず、一匹の小羊のために出向いて行かれる先生の足跡に祝福あれ。「ヘール先生は大教会を作れなかった」と人は言う。しかし、それが先生のキリストへの仕え方であった。それが荒野を耕す開拓者の姿勢であり「行け、そこは荒野なり」との、主の御言葉に従う、伝道者の光栄であった (一〇三頁~)。このヘール宣教師兄弟の姿、一軒の借家を見つけて正に日本人のど真ん中へ身を挺して行く開拓者、あるいは、わらじ履きで一人の求道者を尋ねて歩かれた荒野を耕す開拓者の姿勢から、河内長野教会のまだ設立以前のことを想像します。当教会の一番最初の記録は「1901(明治三四)年、石田たりよ氏、長野神社社務所にて、日曜学校を開設する」というものです。それは、A・D・ヘールが講義所設立認可申請を大阪府知事宛に提出する一九〇五年(この年が当教会の設立年)の四年前です。

ここからは全くの推測ですが、南河内の長野に住んでいた石田たりよさんが、それまでに大阪市内かどこかでヘール宣教師と出会い、福音を聞き、洗礼を受けるに至った (当教会の受洗者名簿には彼女の名前はありません)。そしてたりよさんは、親御さんや子どもたちに呼びかけ長野神社社務所にて日曜学校を始めた……。この日曜学校を始めるに先立って、まず、ヘール師が石田たりよさんの祈り、天を裂いて来て下さい、という心からの求めを聞き取ったのではないでしょうか。求道者となった石田たりよさんが長野に居る。そしてこのたった一人の求道者を求めてこの地に出向いて来られた。このヘール宣教師の到来は、石田たりよさんだけではなく、長野の地域の人たちにとって、宣教師が天を裂いて福音を携えて忽然と現れた出来事です。このことから当教会の前史が始まった。以上、全くの推測ですが、この地に福音の種が蒔かれ、教会が飢えられ、今日に至っている。

さて、神の御子キリストの到来は、天を裂いて地上に来たり給う出来事です。フィリピ書が伝える当時の教会で信仰告白のようにして歌われていたキリスト賛歌の表現は、天を裂くという表現こそしていませんが、内実は同じです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした(フィリピ二・六~八)。全ての人の救いのために、全ての人と言っても十把一からげではなくて、一人ひとりの救いのために、一人ひとりに目を留めて、救いの祈り求めを聞き取って、天上から、天を裂いて地上においでになりました。このキリストのお姿が、一人の求道者を尋ね歩く開拓者としてのヘール宣教師の心の根本にあるに違いありません。         マリアもキリストの到来を心に受けとめました。身分の低い、この主の婢にも、目を留めて下さった(ルカ一・四八)。クリスマスの出来事は、一方ではキリストの天上から地上への降りたもう出来事ですが、他方、人間にとっては低い所から高められる出来事です。実は既にキリストの眼差しがあって、この自分にも目を留めて下さっておられると気付く時、それが、私たち一人ひとりにとってのクリスマスの出来事になるのだと言えます。

パウロがキリスト賛歌をフィリピ書に引用するのは、キリストの出来事、キリストの眼差しに気付いて欲しかったからです。フィリピ教会も、人間の集いでありますから、人間的な不一致はあったことでしょう。人はどうしても相手の欠点を見てしまいます。パウロはそのような時にこそキリストに思いを向けるクリスマスの恵みに生きるように招いています。フィリピの教会の願う姿をこう語っているようです (フィリピ二・一~五)。そこで、あなた方に幾らかでも、キリストに拠る励まし、愛の慰め、〝霊〟による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして…という教会の姿です。続けて、何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互に相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互にこのことを心がけなさい。

思いを一つにして、互のことを心がける。教会共同体の姿ですが、これは単なる道徳心の高揚を語るのではなさそうです。そうやって頑張って自ら謙虚になって教会の仲間を形作るのではない。どうすれば良いのかというと、ただ一つ、キリストに思いを向けることです。それはキリスト・イエスにも見られるものです、と言って、それで、先程来のキリスト賛歌を思い起こしている訳です。

ヘール宣教師兄弟も、いつもキリストのこのお姿を思い起こしながら、自ずと一人ひとりの救いを思う宣教師の姿になっていったに違いありません。私たちも、天を裂いてこの地上に来られ一人ひとりに目を留めて下さるキリストに思い重ねながらクリスマスの恵みに生きる者とされます。

これから与ります聖餐は、キリストにおいて私たちを一つにしてくれます。心して受けとめます。

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