日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年1月23日 説教:森田恭一郎牧師

「更にまさったご計画」

エレミヤ二九・一〇-一四
ヘブライ一一・三九-四〇

今日のヘブライ書の最後に不思議な聖句があります。神は、私たちのために、更にまさったものを計画して下さったので、私たちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです(ヘブライ一一・四〇)。私たちの信仰によって旧約の信仰者たちが完全な状態に達するようにされる(受動形)とはどういうことか。それが今日の課題です。

 

このことを理解するための例としてまずイメージしたいのは、リレーや駅伝のマラソンみたいな競技です。チームで走ります。バトンやたすきを繋いでいきますが、アンカーでない人は自分はゴールしません。次の人に託します。最後のランナーがゴールインして金メダルが確定した時になって、自分の走ったことが完全な状態に達することになります。金メダルでなかったら、と思われるかもしれませんが、主イエスが迎えて下さるゴールインは、みんな金メダルです。

もう一つの例は、先週紹介しました、子どもホスピスを立ち上げた方の例です。娘を先に天に送り五年経ってから子どもホスピスの事業にチャレンジし、かつ、困難な中やり続けた。それが出来たのは、「この活動をしていると娘が一緒にいられる気がします」と思えたことです。私の想像ですが、いずれこの父親が天に召されたとき、娘が駆け寄ってきて「お父さん、神様のご計画をやり遂げたね。イエス様が喜んでたよ」と褒めてくれるとお話ししました。父親にとってみれば、この娘のお蔭で、自分の人生がやって良かったという完全な状態になるのでしょう。事業がうまくいったことだけでは完全ではない。地上の歩みは、娘が迎えてくれるゴールインで完全にされます。

 

今日は突然ですが、譬え話「タラントンの譬え」を味わいたいと思います。ゴールを示している譬え話です。「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた(マタイ二五・一四~一五)。旅に出るのですからいずれ戻ってくる。それまでの間、約束を信じて生きる事を主人は期待する訳です。財産を預けます。財産がタラントンで賜物です。賜物を戴いている、そこからスタートです。主人は、僕たちが豊かな結果を出せると信じて財産を預けます。主人が帰って来られるまでの期間が、約束を思い起こしながら歩む私たちの地上の歴史、人生だと言って良いでしょう。

僕たちは、早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、他に五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、他に二タラントンをもうけた(マタイ二五・一五~一六)。彼らは賜物を活かして結果を出した。何故、彼らはチャレンジ出来たのか。結果を報告する僕たちに主人が語った言葉に明らかです。主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』(マタイ二五・二一、二三)。彼らはもうけたという結果で完全な状態にされたのではありません。最後に主人に喜んでもらえた、そういうゴールインで完全にされました。

僕たちがチャレンジ出来たのは、彼ら自身の商売がうまく行く自信があったからということではありません。一緒に喜ぶ主人を知っていた、それで失敗を恐れずチャレンジ出来た。ただそれだけです。それが「よくやった」ということの基にあることです。そして結果として商売がうまくいった。旅に出る前の主人の様子を見ながら、このご主人は私たちと一緒に喜びたいと思っておられるお方だ、と分かった。自分の人生に主人の喜びが、託されている。タラントンを戴いた時点で、自分たちの将来についての希望の計画を確信出来ます。そして地上を生き始め、ゴールインの時には、主人の喜びの内に迎えてもらって完全な状態にされる。それでチャレンジした。

 

私は、この二人の僕たちが、事業に失敗し商売がうまくいかなかったとしても、主人が戻って来られて迎えて下さるゴールインの時に、主人は「私の喜びの約束から離れず一生懸命やったね」と喜んで下さると思います。もっとも、結果は出せると主人が信じて財産を託し、約束なさった以上は、失敗はないのかも知れません。主人がそういう喜びの計画をお持ちなのです。私たちも、人生のゴールインの時に、この完全な状態にされることを信じて人生を歩みたい。

 

神様は、旧約の民にも、新約の私たちにも、将来についての希望の計画、喜びの計画をお持ちです。エレミヤにも語りました。バビロンに七十年の時が満ちたらなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである(エレミヤ二九・一〇~一一)。ここでは、七十年後に実現する神様の喜びの計画ですが、その実現は自分の生きている間には来ない。彼らは子どもに託すことになります。

 

それでは、旧約の信仰者はどういう部分が不完全で、新約の信仰者によって完全な状態にされるのでしょうか。問題は、旧約の民には、自分の子どもに続く、最終的に神様に迎えて戴くゴールインする最終ランナー、アンカーに会っていない。そこが不完全です。

新約の私たちは、主イエス・キリストを知っています。主イエスが十字架で罪を贖い、甦られて永遠の命の確かさを明らかにして下さった。それ故に、私たちを迎えて下さる主イエスが、喜びに満ちた方であると確信出来ます。私たちは安心してゴールイン出来る。旧約の信仰者たちから見ると、主イエスに出会う私たちが最終ランナーです。

もし、人生の困難の中で、このゴールインが見えなくなったらどうすれば良いでしょうか。エレミヤ書の聖句がヒントになります。主がエレミヤに語ります。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見い出し、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる(エレミヤ二九・一二)。あの時のイスラエルの民は、七十年後の約束のご計画を確かめながら祈り求めて、神様と繋がって生きるように招かれました。

私たちも、「主よ、あなたは一緒に喜んで下さいますね」と主に祈り求めたら良い。祈りの中で、「よい僕だ、よくやった。私と一緒に喜んでくれ」と語りかけて下さる主イエスの言葉を思い起こしましょう。祈りの中で御言葉を思い起こし、その喜びの主イエスとの繋がりの中で生きるのです。新約の私たちには、ゴールインが明確です。

あの一タラントン預かったもう一人の僕、主人の喜ぶ姿が見えず厳しい方だ(マタイ二五・二四)としか思えなかった。そうであるなら、他の二人に祈ってもらったら良かった。

教会の私たちは祈り合うことが出来ます。「主人はあなたと一緒に喜んで下さいますよ」と主イエスのお蔭で確かになった約束を以て支え、支えられる。それが教会の相互牧会です。お互いを覚えて祈り合える私たちであることを覚えましょう。