日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2020年10月18日 説教:森田恭一郎牧師

「思い出し、思い起こそう」

イザヤ四四・二一~二二
ルカ 二四・ 一~一二

イエス様は、十字架で亡くなられたのに、金、土、日の三日目に死人の内から復活されました。不思議です。ですけれど、神様の御手によって、私たちの人生、死で終わりではない。このことが、はっきりしました。皆さん、覚えておきましょう。

 

その日、週の初めの日=日曜日、主イエスの遺体が見当たらなかったそのお墓の前で「あぁ」と途方に暮れていた婦人たち、そのそばに、輝く衣を着た二人の人が現れて言いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられた頃、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。

そう言われて「あっ、そう言えばそうだった」と婦人たちは顔を上げて「イエス様が確かにそうおっしゃった」と主イエスのお言葉を思い出しました。何度か聞いていれば忘れても思い出せます。だから私たちも、教会に来て聖書のお話を聞いておく、このことが大事です。

ただ、婦人たちは何度か聞いていたのに、主イエスが死んでしまわれるなんてそのショックが大きくて、まして復活するなんて本気で信じられなかった。すっかり忘れていました。でも天使に言われて、主イエスのお言葉を思い出しました。

そして、墓から帰って、十一人と他の人皆に一部始終を知らせた。「イエス様が復活なさった

たんですって。天使が現れてそう言いました。お墓は空っぽでした」。さっきあったことを思い起こしながら弟子たちにお話しました。婦人たちは、さっきあったことを言い漏らさないようにと、一つひとつ、大切に思い起こしながら話しました。

これを聞いた弟子たち、使徒たちとありますが、最初の反応、第一声は? 二つ言いますから選んで下さい。一つ目「ホントー?」。もう一つは「ウッソーッ」。ヒントは聖書にあります。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。たわ言のようにというのは、ある聖書の訳では「馬鹿げたことに思われて」となっています。ということで正解は「ウッソーッ、そんな馬鹿げたことあるものか」です。

 

そんな弟子たちでしたが、その後、変わるんです。甦りのイエス様が弟子たち現れた! それでどうなったか。本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた(ルカ二四・三四)。弟子たちが興奮して語り合っています。わざわざ「本当に」主は復活してとあります。「イエス様が復活された、これ、本当の話」。他の弟子たちも 「本当だ、本当だ」。この時の興奮した弟子たちの姿が伝わって来るようです。このとき弟子たちは、さっきあったことを今更の事のようにして思い起こしています。昔の事を「あんなことがあったな」とただ思い出しているのではありません。昔の思い出ではない。これは大事な事だ、忘れてはならない、と弟子たちは思い起こすようになります。

婦人たちも最初は、思い出しなさい、と天使から言われて「あっ、そう言えば」と思い出しました。その婦人たちが、墓から帰って来て、けさあったことを弟子たちに話しをする時には、どうだったでしょう? これは大事な事だからと、一つひとつ漏らさないように、思い起すようになっています。そうやって伝えています。

弟子たちも、復活の主イエスが現れて「本当に主は復活して」と思い起こして言えるようになったその時から、使徒になりました。福音書を書き残したルカは、弟子たちが使徒に変わって、新しくなったのを知っているので、二四章初めから使徒たちと書いてしまった。それ程、嬉しかった。

 

今日の旧約聖書の言葉も味わってみましょう。

思い起こせ、ヤコブよ、イスラエルよ、あなたは私の僕。私はあなたを形造り、私の僕とした。イスラエルよ、私を忘れてはならない。こうやって思い起こす。これは聖霊の働きです。だから、イエス様も言われました。しかし、弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことを悉く思い起こさせて下さる。信じるというのは、御言葉を通してイエス様を思い起こすことです。日々の出来事の中で、聖書が語っていることはこういうことかと分かって、慰めや勇気を戴きます。

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