日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年3月27日 説教:森田恭一郎牧師

「執り成しの祈りの力、信じよう」

詩編  七二・一二~一五
ヘブライ一三・一七~一八

教会の私たちは、指導者たちが求道者も含めた教会の人たちのために祈り、併せて、教会の人たちも指導者たちのために祈る、祈り合う共同体です。指導者たちは祈ります。この人たち(=指導者たち)は、神に申し述べる者として、あなた方の魂のために心を配っています(ヘブライ一三・一七)。そして教会員も指導者たちのために祈る者として期待されています。私たちのために祈ってください(同一八節)。互いに祈り合う関係です。

 

教会がそのような祈りの共同体であるのは、何よりも、主イエス・キリストが弟子たちのために祈られたからです。キリストを宣べ伝える使徒として選び出す時、主イエスの為さったことは祈ることでした。その頃、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。主イエスが弟子たちのために徹夜の祈りをささげられた。そして朝になると弟子たちを呼び集められた。主イエスに祈って戴いている者として招いて下さった。祈られていたことを弟子たちは初め気付かなかったかも知れない。でも呼び集められた時には気付いたのではないでしょうか。主イエスに祈って戴くことなしに、教会の指導者としての務めを果たすことは出来ません。そして、主イエスに徹夜で祈って戴いていることをベースに、指導者たちは教会の人たちのために祈ります。あなた方の魂のために心を配っていますという指導者たちの姿、心を配る。美しい日本語ですが、口語訳聖書はこう記していました。あなた方の魂のために目を覚ましている。直訳は、目を覚ましている。

パウロも語ります。どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め……(エフェソ六・一八~)、まず自分のために祈っていい。そして全ての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。信仰者同士覚えて祈る。それから、また、私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、私のためにも祈ってください。指導者のために祈る。

指導者たちは教会の人たちに心を配り目を覚まして祈る。教会の人たちも指導者を覚えて祈る。そして指導者たちも教会の人たちも、今度は世界の全ての人たちを覚えて祈る。その平和を祈る。

 

今日、皆さんの週報ボックスに「教会の働き」の表や図をお配りしています。教会の沢山の働きを皆さんが共に担っておられます。         働きというと、いわゆる当番などの奉仕の働きがまず念頭に浮かびますが、図を見て戴きますと、最初に礼拝をささげる働き、そして祈りをささげる働きを掲げました。多少お体がご不自由でいわゆる奉仕が出来なくても、礼拝はささげている。また礼拝出席は難しくなっても祈りはささげている。そうやって皆さんが教会に仕えていて下さっています。教会の働きについて思い巡らすとき、まず第一に思い起こして欲しいと願います。そうやって教会に仕えている自分だと自覚しましょう。

 

それから総会に当たり、指導者たちとは誰のことか考えてみたいと思います。主イエスが徹夜をして祈って選び出された使徒たち。私のためにも祈って下さいと語ったパウロも指導者の一人です。そしてヘブライ人の教会の指導者たち。そして河内長野教会の指導者と言えば、牧師でしょうか。でも牧師だけではありません。長老たちも指導者たちです。そして、カナンの風の文章で紹介しましたが、信仰の先達の方たち、福音に生きるその姿は、求道者にとってはもちろんのこと、信仰が折れそうになっている時の教会の人たちにとっても、立派な指導者たちです。私たちはみんな、福音に生かされる信仰の証し人です。今日は、そういった教会員の皆さんの中から、投票を以て長老を指導者として選出いたします。

指導者と言うと何か立派な人というイメージを持つでしょうか。自分には出来ませんと思われるでしょうか。それは自分の立派さでやろうと勘違いしたらいけません。十字架で主イエスに罪を贖って戴き、祈って戴いているのですから、それを覚えて主を畏れる。そういう福音に生かされる者としてまず祈ります、それが長老の働きの第一歩、そういうイメージをまず持つことが大事です。   牧師も同じです。主イエスに祈られ、皆さんに祈って支えて戴きます。私は、この三月で、この教会に赴任して丸五年が経ちます。ここまで辛うじてやってこられたのは、皆さんの祈りのお支え、礼拝をささげ御言葉を聴こうという皆さんの信仰に支えられてこそです。パウロだって私が適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、私のためにも祈ってくださいと祈ってくれるように求めました。ヘブライ書の指導者たちだって、私たちのために祈ってくださいと祈ってもらうように求めました。私など尚更です。そして皆さんに祈り支えて戴いてここまでやって来られました。長老も同じです。そして祈りを以て支え合う教会の私たち、みんなです。

因みに、ヘール宣教師も属する改革派教会の伝統では、牧師も長老会を構成する長老の一人です。職責は多少異なります。ある言い方があります。牧師はもっぱら御言葉を語る宣教長老、そして教会員の中から選出される長老は、目を覚まして心を配って牧会にあたる治会長老、牧師も含めてみんな長老です。ここに上下はありません。また信徒の皆さんとの間にも上下はありません。そもそもプロテスタント教会は、万人祭司です。教会に上下があるとしたら、神様が主人、私たちは信徒も長老も牧師も、神様を畏れ教会に仕える僕です。今日は是非、長老選挙、祈りを以て投票して下さい。また、今日選出される長老はもちろんのこと、長老会と長老のために祈りを以て支えて欲しいと願います。

 

終わりに、旧約のイスラエルでは、王と民も心を配り祈り合う関係が期待されていました。詩編からその聖句を味わいたいと思います。王が、助けを求めて叫ぶ乏しい人を、助けるものもない貧しい人を、救いますように。弱い人、乏しい人を憐れみ、乏しい人の命を救い、不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。          王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り、絶え間なく彼を祝福しますように(詩編七二・一二~一四)。