日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2022年1月9日 説教:森田恭一郎牧師

「主がお入り用なのです」

詩編一一八・二五~二六
マルコ一一・  一~一一

「主がお入り用なのです」。イエス様が二人の弟子たちに言われました。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばの繋いであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、誰かが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」(マルコ一一・一~二以下)。それで、二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばの繋いであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われた通り、「主がお入り用なのです」と話すと、聖霊の導きでしょうか、イエス様のお言葉がストーンと心に入ってきて「主がお入り用ならば、どうぞ」と許してくれた。この子ろばが主のご用に用いて戴けるなんて嬉しく思えました。

 

イエス様は、この子ろばを用いて下さいました。

エルサレムにお入りになる時のことです。それにお乗りになったのでした。お疲れになって歩くのが嫌になってしまわれたからではありません。また、戦いの将軍が乗る速くて強そうな軍馬にお乗りになったのでもありません。子ろばです……。聖書は告げます。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前の所においでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」(マタイ二一・五)。ろばは速く走れません。子ろばなら尚さらです。ろばに出来ること、それは重い荷物を背負って山道を登っていくことです。皆さん、パッパカ、パッパカ走り抜く軍馬と、パッカ、パッカとゆっくり進むだけのろばと、どっちが格好良いですか? 皆さんはどっちが好きですか?

イエス様は、荷を負うろばの子、子ろばに乗ってエルサレムに入られます。「私は、みんなの罪の重荷を負う、そういう柔和な者としてエルサレムに来たのです。みんなの重荷を負うために十字架にかかるのです。私はそういう救い主ですよ」。このことを現すために、わざわざ子ろばに乗られました。イエス様は、子ろばに乗って嬉しかったに違いありません。「私は罪の重荷を負うために来た。そのような救い主として来た」。これを現す、荷を負うろばの子、子ろばに乗ってエルサレムに入ることが出来たからです。

それで、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高き所にホサナ」(マルコ一一・九~一〇)。ホサナというのは、どうか主よ、私たちに救いを(詩編一一八・二五)という意味です。重荷を負ってもらって罪赦されて救われます。

 

それにしても、この子ろば、お弟子さんにも、他の誰にも出来なかったことを、成し遂げました。「イエス様はみんなの罪の重荷を負うお方です。そのような救い主です」と見事に、イエス様のことをみんなに示したのです。

このイエス様のお姿を明らかにするご計画、そのご計画を実現していくのに、子ろばを用いよう、とイエス様はお決めになったのですね。この子ろばは嬉しかったでしょうね。「主がお入り用なのです」と言ってもらえただなんて。また、イエス様をみんなに示すことが出来ただなんて。

そして事実、イエス様が十字架にかかられて、後になって人々は子ろばに乗ったイエス様を思い出しました。だから福音書に子ろばの記事が残りました。子ろばを通して十字架で何が起こったのか分かりました。イエス様は十字架で私たちの罪の重荷を負って下さったのだ。丁度、あの「荷を負うろばの子、子ろば」のように。イエス様の本当のお姿、救い主としてのお姿が分かりました。

 

イエス様の、私たちを救うご計画のために「主がお入り用なのです」。イエス様はこのお言葉を、教会にも語りかけておられます。そして皆さんにも語りかけておられます。あの格好良くないかもしれない子ろばが、イエス様の本当のお姿を現すためにお入り用でした。ならば尚さら、あの子ろば以上に、皆さん一人ひとりを、イエス様はご用にお用い下さいます。皆さんをお用いになるとき、イエス様は嬉しいに違いありません。その時、皆さんは、イエス様を証する皆さんだからです。