詩編一一三・四~九
マルコ五・二一~二四。三五~四三
今日はまずこの言葉に心に留めます。「タリタ、クム」。「少女よ、起きなさい」という意味です(マルコ五・四一)。皆さんで声に出して言ってみたいのですが、コロナの感染症のことがあるので、今日は心の中で言いましょう。「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」ですよ。心の中で、さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。
さて、ヤイロというお父さんがイエス様の所に来てひれ伏してお願いしました。「私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやって下さい。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう」。私の可愛い娘が死にそうです。生かしてやって下さいと助けを求めました。イエス様は、低く下って天と地をご覧になる(詩編一一三・六)お方です。低く下って来られて、この日、お父さんの必死のお願いを聞いて下さいました。それで、イエス様はその少女に言おうとお決めになりました。何て言おうとお決めになったのですか? 皆さんで、さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。そこで、お父さんのヤイロと一緒に出かけて行かれました。
お家(うち)に向かう途中、お家から何か知らせる人たちがやって来ました。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」。死んでしまったから仕方ないでしょ、という諦めの思いです。その知らせを聞いてお父さんは「ああ、死んでしまったか。間に合わなかったか」と絶望して涙をこらえても溢れてきました。それをそばで聞いたイエスさまは「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ五・三六)と言われました。やっぱりその少女に言おう。何て言うのですか? さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。それでそのまま、お家に行きます。
お家に着くと「ヤイロさんの娘さんが死んじゃった」と人々が大声でワンワン泣きわめいて騒いでいました。そんな人たちを見てイエス様は、少女に言おうと思いを益々深くしました。何て言いますか? さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。そして泣きわめく大声の中、イエスさまはお家の中に入りました。
お家の中にいる人たちもまた、エンエン泣いたり悲しんだりしているではありませんか。イエス様は人々に言いました。「なぜ、泣き悲しむのか。死んだのではない。眠っているのだ」(マルコ五・三九)。今泣いていた人々は、イエス様をあざ笑いました。「眠っているのだなんて、死んだことも分からないの?」って馬鹿にします。「そうなんですか、良かったですね」とは喜びません。 でもイエス様は、人が何と言おうと私は言うのだ、と決めておられます。何て決めていますか? さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。だから必ず、起き上がります。
そして、イエス様は両親と三人の弟子だけを連れて、子どものいる所へ入って行きます。入ってみると、シーンとして、寝息一つたてず身動き一つしない、横になったままの少女がいます……。お父さんのヤイロとお母さんはまだ知りません。イエス様の言おうとしておられること……。イエス様は何て言おうとしておられますか? さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい」。死んでしまったのに、本当に起き上がるでしょうか。
イエス様は子どもの手を握り「私はあなたに言う」(マルコ五・四一)と声を出してはっきりと言いました。何て言いましたか? さぁ皆さん、最後は声を出してみましょうか。マスクのまま、さん、はい、「タリタ、クム。少女よ、起きなさい!」。そうしたら、イエス様のお言葉通りです。少女はすぐに起き上がって歩き出しました。驚きです。
この出来事は、死者の甦りの徴です。いずれ私たちもこの地上の人生を終えます。でも、神様は弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ(詩編一一三・七)ることの出来るお方です。死者を甦らせるお方です。終末の日、主イエスは皆さんにも宣言して下さいます。 「タリタ、クム。少女よ、起きなさい!」。もちろん、少女だけではありませんけれど……。
そして今日主イエスは皆さんに呼びかけておられます。「恐れることはない。ただ信じなさい」。