日本キリスト教団河内長野教会

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説教集

SERMONS

2021年9月12日 説教:森田恭一郎牧師

「エッファタ、開け」

イザヤ三五・五~六
マルコ 七・三一~三七

耳が聞こえず、舌が回らず上手く話が出来ない人がいました。この日は人々が、この人を連れてきて、手を置いて下さるようにとイエス様に願ったのでした。ところが、イエス様はこの人だけを群衆の中から連れ出し、人々から離してしまわれました。この人は不安に思ったことでしょう。

 

イエス様はでも、一対一でこの人と向き合いました。「私は、今ここで、あなたのためにだけ心を向けよう」。イエス様のそのようにこの人を大切になさるお心が、この人にも伝わってきました。イエス様は、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその人の舌に触れられました。そして、天を仰ぎました。天を仰ぐというのは、上の方を見上げること。そこに天の父なる神様がいらっしゃいます。そして深く息をつきました。

皆さん、一緒にやってみましょう。まず天を仰いで下さい。父なる神様に心を向けて。そのまま深く息を吸って、それから吐いて「ハーッ」。息をつきます。何かがっかりしているように、溜息をつくように、呻くように。「あ~」。皆さんも、もう一回、天を仰いで、深~く息を吸って、それから吐いて「あ~」。

イエス様の、この人を大切にするお心は祈りになりました。天の父に向かって、この人のために祈るような思いでした。「この人はせっかく人として生まれて来たのに、耳が聞こえず神様のお言葉が聞けない。せっかく神様に愛されているのに、話が出来ず『神様、有難う』と言えない。父よ、この人の耳を開き、話せるようにして下さい」。

 

それで今度は、その人に向かって、目と目を合わせて何かを言いました。皆さん、この人は耳は聞こえませんが目は見えます。イエス様が大きく口を開けて何か言って下さる。じっと見る。先生が言います。(唇の形だけで)「エッファタ」。解りますか? もう一度(無声音で)「エッファタ」。そうです。(はっきりと)「エッ、ファ、タ」です。それは「ひ、ら、け」という意味です。

すると、この人は、たちまち耳が開き、舌のもつれが解けてはっきりと話すことが出来るようになりました。イエス様が向き合って下さったその時、旧約聖書が語っている通りになりました。「その時、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。その時、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う」(イザヤ三五・五~六)。この人も、鹿のように躍り上がるくらい嬉しかった。聞こえなかったのに聞こえます。話せなかったのに話せます。感激!

 

そこで一つ質問です。聞こえるようになって聞いたことの内、何に一番感激したでしょう? 話せるようになって何を一番感動を以て話をしたでしょう? 答え、イエス様のお話を聞けるようになりました。それに感激し、イエス様に心から「有難う」と言えるようになりました。

もう一つ質問です。この人は耳と口が開くようになって、もう一つ、開いたものがあります。それは何でしょう? 答え、それは、この人の閉じていた心です。イエス様に向かって心が開きました。この人はイエス様と嬉しそうに語り合いながら、人々の所へと戻っていきます。

人々は二人の姿を見て口々に言いました。「あの人、嬉しそうにしているよ。聞こえているみたい、話せているみたい。イエス様が治して下さったのだ。この方のなさったことは素晴らしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにして下さる」。二人が人々の所までやってくると、イエス様は人々の驚いている様子を見て、あることをお語りになりました。イエス様は何と、誰にもこのことを話してはいけない、と口止めされたのです。イエス様はとっても素晴らしいことをして下さったのに不思議です。

 

それでもう一つ質問です。どうして口止めされたのでしょう。答え、人々は気付いていません。この人は神様のお言葉を聞くことが出来るようになった、神様に「有り難う」と言えるようになったことを。心も開いたことを。

そしてもう一つ、神様のお言葉に耳を閉ざし、神様に「有難う」と言えない人間の罪をイエス様が背負って下さって、だから、この人が神様のお言葉を聞けるようになり、「有難う」と話せるようになったことを。人々は、一番大事なことを解らず、伝えないまま、聞こえるように話せるようになさった、とかえって益々言い広めてしまいました。