エレミヤ七・二五
マタイ一三・一~九
今日は種蒔きの譬えのお話しです。 「種を蒔く人が種を蒔きに出て行った。蒔いている間に」(マタイ一三・一~)と、主イエスは大勢の群衆に語り始めました。
歩きながらパラッと種を蒔きました。ふと後ろを見ると、今蒔いて道端に落ちた種を小鳥が来てついばんでいます。アッ食べられちゃった。駄目か~、せっかく蒔いたのに、と思いました。
けれど、種を蒔く人は蒔き続けます。ある種は石だらけで土の少ない所でしたが、二、三日経つと、すぐ芽を出してきました。「出てこい出てこい」可愛い芽が出て来たぞと嬉しくなって、水をやります。でも、日が昇ると焼けて根も伸びてないので枯れてしまいました。駄目か~、せっかく芽が出て来たのにと残念でした。
けれど、種を蒔く人は蒔き続けます。こちらの種は、芽を出し、二、三週間でしょうか、葉っぱになって茎も伸びてきます。「伸びてこい、伸びてこい」と種まく人は喜んで水をやります。でも、伸びてきたのは、周りの雑草、茨でした。茨が伸びてきて、葉っぱも茎も塞がれて伸びてきません。駄目か~、せっかく伸びてきたのにと残念でした。
けれど、種を蒔き続けて蒔いた他の種がグングン成長してきました。二、三ケ月経った頃でしょうか、良い土地に落ちた種は、小さな実がありました。「大きくなれ、大きくなれ」。水をやり肥料もやった甲斐がありそうです。そうしたら実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなりました。
この種を蒔く人は、何度でも種を蒔きました。最初、小鳥に食べられても、次に日が昇って焼けてしまっても、三番目に茨に邪魔されても、四番目、種を蒔き、水をやり、肥料をやりました。諦めません。どうして諦めないで続けられるのでしょう。それは、まだ見ぬ、実を結ぶ姿、収穫の時を思い描いているからです。
ところで今年はオリンピック、パラリンピックの年。選手たちは今年参加するまで、どれだけ練習を積み重ねてきたことでしょう。何度でも、トライしてきました。でも、もうこれ以上無理だ、と四分の三は諦めかけたかもしれない。けれど希望を捨てなかった。選手本人だけではありません。コーチだって、家族だって、友だちだって、何度でも、応援し続けたに違いない。メダルを手にした選手は、これまでの努力が実ったのだ、やった甲斐があった、と思ったに違いない。コーチも家族も友達も同じです。
それではメダルに手の届かなかった人は? と思うかもしれません。選手たちは精一杯練習してここまで来た、そのことに、結果はどうであれ、悔いはない。人生ここまでやってきた。
譬え話では、良い土地に落ちた種は実を結びました。良い土地に落ちなかった種は仕様がないのでしょうか……。
そこで皆さん、教会の横の道路と歩道の間にガードレールがあります、その下の所をちょっと見て欲しい。雑草ですが青々と草が並んでいます。舗装している、良い土地なんて全然言えない所です。けれどもその雑草は、そこを良い土地だと思って、葉を茂らせていますよ。季節には花も咲かせている。よく言われる表現では、置かれた所で咲いている。何と力強い生命力でしょうか。そう思うとあの雑草を抜く気になれない程です。後で可愛い雑草たち見てやってね。
種蒔く人は何度でも種を蒔きました。この譬えを語って下さったのはイエス様です。私たちに一人ひとりに愛の種を何度でも蒔いて下さいます。駄目か~と思われる私たちの姿があったかもしれない。けれどイエス様は諦めない。
父なる神様も諦めません。旧約の時代から。お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、私の僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした(エレミヤ書七・二五)。繰り返し、何度でも、預言者たちを通して、神様の愛の言葉を蒔いて下さった。
でも、それでも、私に聞き従わず、耳を傾けず、却ってうなじを固くして、先祖よりも悪い者になった(同二六節)。彼らは何て頑固な罪深い者たちでしょう。けれど、それでも神様は、諦めない。主イエスを私たちの所に遣わして下さって、頑な罪を十字架で負って下さるからです。そしてもう一つ付け加えると、イエス様は、七の七十倍までも(マタイ一八・二二)、何度でも私たちの罪を赦す種を蒔いて下さいます。そうやって立ち直って実を結んでいく私たちの姿を、私たちに先んじて、主イエスは見ておられます。
皆さんは自分だけを見ていると、やっぱり駄目か~と思ってしまうかもしれません。けれど、皆さんの生まれてきて良かった、生きていていいんだ、これからも生きていこう、そう思ってイエス様を見上げて生きる一人ひとりを、主イエスは思い描いて、そのように見ておられます。それで今日もこの礼拝で、愛のみ言葉の種を蒔いて下さいます。イエス様は諦めません。教会も応援します。だって、皆さんは、イエス様がもう既に、実を結ぶ姿を思い描いて見てもらっている、そういうお一人おひとりだからです。