「娘よ、起きなさい」

森田恭一郎牧師

(ルカ9・49-56)

主イエス・キリストは、クリスマスの時、天の国、御国を携えて、天から地上へと人として降って来られました。天の国、御国を携えてやって来られたので、主イエスがお命じになると、御国の出来事が起こりました。だから今日のルカ福音書でも「娘よ、起きなさい」と呼びかけられると、娘はその霊が戻って、すぐに起き上がりました。

ここに、その女の子がおりました。まだ一二歳位の可愛い子です。父さんの名前はヤイロさん、仕事は会堂長のお仕事です。ところがある時、この娘が病気になり、病気が重くなり、全然良くなりません。それどころか、何だか死にそうです。大変です。

そこでお父さんのヤイロさん「どうしたらいいだろう。あっ、そうだ。イエス様にお願いしてみよう。まだ間に合うかもしれない」と思い立って、主イエスの所に出かけて行きました。そして、主イエスの足もとに平伏してお願いしました。「イエス様、私の家においで下さいませんか。娘が死にそうなんです。本当に死にそうなんです。早く来て治してやって下さい」(八章四一、四二節)。

それでお家(うち)に向かうことにしました。ところが、お家に行く途中、そちらの方から人がやって来て、お父さんヤイロさんにこう言うではありませんか。「(ヤイロ様、あなたの)お嬢さんは亡くなりました。この上、先生(=主イエス)を煩わすことはありません。今更来て戴いても、もう間に合いませんから」。

これを聞いてお父さんはどう思ったでしょう。大きなショックです。きっと、立ちすくんでしまい、がっかりして、肩を落とし、下を向いて「ああ、死んでしまったのか。間に合わなかったのか。もう駄目か」。涙が溢れてくるところでした。

でも主イエスは同じ言葉「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません」、この同じ言葉を聞いて、主イエスは上を見上げました。天の御国の光景を見上げました。すると主イエスには見える。天の光景が。この一二歳の女の子、ヤイロの娘が甦らされて起き上がっている姿を主イエスは見出しておられます。そしてその女の子は神様をほめたたえている。そういう天の光景を見ておられます。

だから主イエスは、お父さんのようには思いません。「ああ、もう間に合わなかったのか…」と。代わりに主イエスは思いました。「私は天の御国を携えて地上にやって来たのだ。『先生を煩わすことはありません』なんて何を考えているのだ。私は、あなたたちのために大いに煩おうではないか。十字架にかかって、救い出すために私は来たのだ!」。お父さんヤイロさんが涙を流す暇もなく諦める前に、主イエスは宣言なさるようにしてこう言いました。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。

五一節、イエスはその家に着くと…とあります。お家に向かっていく間に、主イエスはヤイロの後にくっついて行ったのではない。主イエスの方が先頭に立ってグングンと家に向かうようです。そしてお家に着きました。

この時、家にいた周りの人々はどうだったでしょうか。五二節、人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた…。エイエン、と泣いていた。そこには天の光景を見上げている人は一人もいない…。みんな下を向いて泣いている。そこで、主イエスは言われました。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」。だって主イエスには、天の御国の、娘が起き上がって神様をほめたたえている、その光景が見えるのですから…。でも人々は、地上の様子しか見ていません。その娘は死んで横になったままです。そして人々は、娘が死んだことを知っていたので、主イエスをあざ笑った。

笑いには二つあります。楽しくて笑う笑い。嬉しくなる笑い、みんなで喜ぶ笑い。でももう一つ、変な笑いがあります。あざ笑う笑いです。相手を馬鹿にして笑う、そんな笑いです。笑いとしては何だか相応しくない笑いです。

人々は主イエスをあざ笑いました。心の中で思いました。「娘は死んだんだよ。そんなことも分からないのか。この人、馬鹿じゃないの」。娘のために悲しんでいたはずの人々は、泣き悲しむのをやめて、主イエスを馬鹿にしてあざ笑いました。

ここで皆さん、考えて欲しいことがあります。周りの人々は主イエスをあざ笑っています。でも、お父さんヤイロと、お母さんは、主イエスの事をあざ笑ったでしょうか? 娘が起き上がるなんて、そんなことあるはずがないと、主イエスを馬鹿にしてあざ笑ったでしょうか? 

娘が息を引き取った時、お母さんはどうしただろうか。娘の手を取って「起きて、起きて、死なないで」と起こそうとして何度名前を呼んだことか。でもお母さんには出来なかった、もう遠くへ逝ってしまった娘にどんなに手を伸ばしても届かない…。

でも主イエスが来られて、お父さん、お母さんは、どうなったでしょうか。主イエスが天を見上げておられるそのお姿を見つめながら、そして主イエスの仰った「死んだのではない。眠っているのだ」、この御言葉を聴いて心にしっかりと留めながら、こう思うに違いない…。そのお言葉通りに眠っているだけであって欲しい、嘘でもいい、一瞬でもいい、眼を開けて起き上がって欲しい。そう願って、主イエスと一緒に、天の御国を見上げるのではないですか。それが、親の気持ちというものです。親しい者を亡くした者の気持ちです。それなのに周りの人々は、何故、一緒に天を見上げないで、主イエスを馬鹿にするのか。

さぁ、人々はどうであれ、五四節から、天の御国の世界が始まります。成る程、娘は死んで遠くへ逝ってしまいました。もう人間には、お父さん、お母さんであっても手は届きません。

でも(主イエスが娘の手を取って起こす聖句カードの絵を見せながら)、主イエスの御手は届きます! 御手は届くのですよ。主イエスは娘の手を取り、そして「娘よ、起きなさい」と呼びかけられました。その手を引っ張り、そして娘を起こしました。この時、皆さんがこの娘だったら「いや」と言って、手を引っ込めてはいけませんよ。娘は「はい」と起き上がりました。その霊が戻って、すぐに起き上がったのです。

主イエスが天から携えてきた天の御国の出来事がここに起こりました。主イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされました。娘の両親は非常に驚きました。主イエスの仰る通りになった。「娘は救われる。泣くな」「死んだのではない。眠っているのだ」「娘よ、起きなさい」。主イエスのお言葉は全て嘘ではなかった。天の御国は本当でした。娘の両親は、そう驚き、信じました。

皆さん、将来、いつか(絵を見ながら)、自分もこうなるのですよ。主イエスは皆さんの、この絵の風景を、既に見ておられる。何か不思議です。自分は今、ここに地上に生きているのに、主イエスは既に、将来起こる天の光景を見ている。私たち地上からは手が届かない。でも主イエスには手が届く。ですから私たちもこの光景を信仰の内に見ます。自分がこの娘のようになるのだと、しっかりと信じて、私たちも御国を見上げます。

祈り

天の御国の世界があることを信じます。私たちにも御手を差し伸べて下さい。主が支えていて下さいます。身を横たえて眠っても、私たちはまた、目覚めます。主よ、立ち上がって下さい。私たちの神様、お救い下さい。救いは主のもとにあります。亡くなられた家族や先生、親しい友だちに天の祝福がありますように。

あざ笑う笑いを受けて主イエスは十字架にかかられました。そのあざ笑う笑いを打ち砕いて主イエスは甦って下さいました。あなたの天の祝福が、地上の全ての人の上にありますように。世の中にあるあざ笑う者の笑いが、全て喜びの笑いに変えられますように。そして世界が喜び合う平和の世界になりますように。

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